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◇
明治大学の裏手にある公園のベンチに座り、一樹はつい一時間ほど前にかわされた医師との会話を思い返していた。
「本当に、間違いなく死ぬのでしょうか」
「おそらくは」
医師はMRI写真の一点を見つめながら淡々と答えた。
一年、それが一樹に残された時間だった。
一樹は自分の左手首に右の人差し指、中指、薬指を置く。拍動は力強く規則的である。この拍動が一年先には止まるのである。病院からお茶の水駅まで約3キロほどの道のりを走っても息もきれないように全身に逞しく酸素に満ちた血液を送り続けるこの心臓が停止し、雑多な感情から複雑な思考、問題解決を一手に引き受けているこの脳も停止する。
受け入れがたい事実ではあったが、医者に見せられた様々なデータは確実に1年後の死を指向していた。
彼は自分の来し方を振り返った。
そこそこの容姿に恵まれ、そこそこ出来がよかった彼はそこそこの人生を歩んできた。極めて名の通った大学を卒業して上場企業に入社後、次々に振り落とされていく同僚を後目に三十歳の若さで課長に昇進した。もちろんそれは自分の努力と成果に対する正当な報酬だと一樹は考えている。
例えば、取引先との時差がときには莫大かつ致命的な損失を会社にもたらすことがある。対応に駆け回る上席といつの間にか異動させられた同僚を見ていて自分はああはなるまい、と一樹は思った。月に100時間を超える残業も若くて体力のある一樹には苦でもなかった。上司や取引先との会食も面倒ではあったが全てこなして来た。金もそこそこ貯まっていた。使う暇がなかったというのが正確だろう。
そんな自分のことを一部の同期や同僚は陰で社畜と呼んでいることを一樹は知っていたが、陰口をきくことしかできない人間を一樹は一樹で冷ややかな目で見下ろしていた。ひとつのプロジェクトを長い時間をかけて成功させる達成感や高揚感は味わった人間にしかわからない。事実結果を出せず仕事についていけない人間の大半は「自分探し」を理由に退職していった。
自主的に動かないものは異動や関連会社へ出向となり、一樹の眼の前からいなくなった。自殺した不器用な同期もいた。
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