僕が捨てたもの

2/3
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
「ねえ、なんで君はそれを捨てたんだい?」 なんの前触れもなく問いかけてきたのは、塀の上で寛ぐように伏せる、一匹のネコだった。某童話に出てきそうなにんまり口を披露するそのネコは、じぃっ、と、穴が開く程、僕の顔を見つめている。白い仮面をつけた、僕の顔を。 かつてそこには仮面などなく、僕本来の顔が存在していた。しかし、ある日をきっかけに、僕はその顔を捨てたのだ。ゴミ箱に捨てるような、そんな簡単な方法で。 ネコがそのことを指摘していることを理解した僕は、ただじっとネコの顔を見返した。答える義理はない。そういう意を込めた無言に、ネコが鳴く。呆れたように鳴く。 「やれやれ。人が訊ねているというのに、なっちゃいない態度だね。頷いたりすることすら君にはできないのかい?」 皮肉をたっぷりと込めた台詞だった。 やたらと上から目線なネコに腹もたつが、しかしそれを無視して僕は止めていた足を一歩前へ。何事もなかったように歩き出す。 そんな僕に、ネコは付きまとうように立ち上がり、塀の上を飄々と歩く。たてられた尻尾が、わずかに揺れ動いていた。 「やれ。つれない人間だ。普通ならば返事を返し、コミュニケーションをはかるところだぞ、ここは」 「……」 「ふむ。まあいい。よっぽどの理由があるのだろう。ならばこれ以上の問いかけは無礼というもの。大人しくその理由について問うことをやめてやろう」 ただし、とネコ。優雅に僕の目の前に降り立ったそれは、ゆらりと尾を揺らすと、またにんまりと口はしをあげる。 「貴様のその顔、私に譲ってくれるなら、だが」 ぴたりと、足が止まった。 その様子に、ネコは嬉しそうに喉をならす。 「別に構わんだろう? 捨てたものをもらうだけだ。お前だってその方が都合がいいんじゃあないか?」 「……」 「ほれ、頷いてみろ。たったそれだけでその仮面の下の顔とはおさらばだ。今後一切、それがお前を傷つけることはなくなる。良い話じゃあないか、うん?」 確かにそうだ。これは実にありがたい申し出である。 僕は少し考え、頷いた。そうして己の顔に張り付く仮面に手を触れ、引きちぎるようにそれを外す。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!