夏至の頃。

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 桐谷の魔物と畏れられた大叔父は、人としての生に飽き飽きしていた。  だから、目の前に現われた人間を試して遊ぶことを繰り返した。  それはまるで、猫が気まぐれに掴まえた獲物をいたぶるように。  あるときは、分家の娘の絹を誑かした男に目を点け、弄んだ。  見目麗しく、才気走った青年に、次から次へと試練を与える。  最初には、息も出来ないほどの憎悪を抱かせるための罵倒を。  次に、本能的に飛びつきたくなる好機を。  そして、輝かしい成功と賞賛と使い切れないほどの金を。  最後に、美しい女達を。  絹との再会すら、遊びの一つだった。  彼女を手に入れようとするのか、手に入れたならどうするのか。  彼は、単純に、知りたいだけだった。  墜ちていく人間と、這い上がる人間の違いを。  『あれは、思ったより使えなかったな』  たった一言で終わってしまった、男の命運。  絹が手を振り払った瞬間に魔法は全て解け、残ったのは裸の王様だった。  彼の見せかけの才能と財産は瞬く間に消え、人々も去った。  巻き返す力など当然なく、最後は女衒まがいの商売に身を落とし、女の一人に刺されて死んだ。    そんな中現われた、光子。  目の中に入れても痛くないほど寵愛され、血のつながりはないのに大叔父の魂そのものを継承したと言われる少女は、まるで真夏の陽の光のような女へと成長し、まだ少年だった惣一郎の目を焦がした。  女の中の女。  貴婦人の中の貴婦人。  そして、花の中の花。  ただし、愛とは無縁の女。  大叔父の死後、その庇護を放たれてもなお誰のものにもなろうとしない光子を、惣一郎は求め続けた。  惣一郎の求婚は十年近く続いた。  華麗な恋愛遍歴に加え破天荒な光子を妻にしたいと願い出る奇特な男は、世界がどんなに広くとも惣一郎くらいだ。  光子をもてあました本家は、渡りに船とばかりに説得し続けた。  彼女が三十を過ぎ、半ばになろうかと言う時になり、ようやく話がついた。  パリのアパルトマン一つと引き替えに真神家に入ること。  健康な男子を産んだら、さらに別荘をもう一つ。  子供を産めば、絹と同じように本邸で暮さず、好きに生きて良いと。  ただし、真神姓のままで。  それは、惣一郎も知らない桐谷家での密約だった。
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