夏至の頃。

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 真神に嫁いで五十年近く。  その間、思うように生きさせてもらった。  あれからも何度か恋愛のまねごとを繰り返した。  お互いの立場を侵さない程度の、軽い恋を。  政財界を操るまねごとも、少し、楽しんだ。  しかし、どこかいつも虚ろなままの日常の中に現われたのが、真野芳恵だった。  孫の俊一を産んですぐに亡くなった光子の後釜に据えられた、真神分家の娘。  他にも縁談はあったというのにそれらを全て断り、進んで真神に飛び込んでくれたにもかかわらず、惣一郎は彼女を嫌い、常に蔑ろにした。  それでも、芳恵は惣一郎を慕い、俊一を愛し、真神家を切り盛りするために奔走していた。  すっかり名ばかりの家刀自となりかけていた自分をたてて、春正を看取り、十二分の働きをしていると思う。  おかげで、この歳になって孫たちとこうして過ごす日々をゆっくり味わうことが出来た。  芳恵にもらったものを、自分も芳恵に返したい。  春正と夕子には、力及ばずたいしたことが出来なかった。  そんな思いが、一年前の自分を思いも寄らない行動に走らせた。  芳恵と、孫たちを守ることが、皆に恩返しすることにもなると、思いたい。 「惣一郎」 「はい」 「芳恵と、子供たちを桐谷にもらって良いかしら?」 「・・・は?」 「あなたがいらないなら、私がもらうわ」 「仰る意味がわかりません」 「桐谷絹の養子に、芳恵および清乃、憲二、勝己をしようと思ってるの」  息子が言葉を失い、テーブルの上にのせたこぶしをぎゅっと固く握ったのを見ながら続ける。 「私に、あの子たちを頂戴」  これは、賭だ。 「養子に・・・ですか」  惣一郎の、男らしい骨張った指を見つめる。 「そう。光子と同じことね」  惣一郎の先妻だった光子は桐谷本家の大叔父の養女だ。  最後の、養女。  そして、秘蔵の娘。  今の清乃の年の頃に、零落した華族の屋敷から骨董品と一緒に大叔父が買い上げた。  売り飛ばした父親はもちろんその後立て直せるわけがなく、知合いを渡り歩いて消えていった。  宮家と武家をうまく調和した少女は目をみはるほどの美貌と明晰な頭脳と剛胆なふるまいが似合い、女にしておくには惜しいと何度も大叔父がこぼしたほどだった。  あの、大叔父に、そう言わせた娘。
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