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「何してたの?」
そう言うなり藤枝は僕の顔を覗き込んできた。
先程まで泣きそうになっていた顔を見られたくなくて、僕は慌てて顔を逸らした。
「別に。何もしてないよ」
「ふーん」
トーンダウンした声が背中に刺さる。しかしその声には、いつも僕を見て笑う時のような嬉々とした響きも含まれていた。
ギアが切り替わったように、藤枝は明るい声を僕に飛ばす。
「ねぇ!転校びっくりした!?」
「・・・別に」
「ふーん」
風が藤枝の髪を撫でる。まだ春らしい暖かさのない風だった。
素直に驚いたと言えなかった後悔が波のように押し寄せてくるのを振り払い、僕は話題を変えた。
「そういえばさ、前に机の上に書いてきた22.4cmって、あれ何なの?」
藤枝は、一瞬考えた後、あーあれね、とくすくす笑った。
「最後だから教えてあげるよ。あれはね、私と七峰くんの距離だよ」
「へ?」
間抜け声だと自分でも分かった。藤枝は口を閉じてひとつ笑った。唇が、コンパスで書いたような綺麗な弧を描く。
「距離だよ。あの日さ、七峰くん頑張って物差しで三角形の辺の長さを測ってたでしょ?気付いてなかったみたいだけど、全部測り終えた後に七峰くんが置いた物差しが私の右手をかすめたの」
ふふ、と本当に嬉しそうにして笑ってから、藤枝は続けた。
「ちょうど私の右手から22.4cmのところに、七峰くんの左手があったんだよ。だから、あの時の私と七峰くんの距離は22.4cmだったの」
なんだか恥ずかしくなってきて、僕はまた足下の乾いた田んぼを見た。
苦し紛れに「なんだよそれ」と言っても藤枝は「べつにぃ」と言って笑うだけだった。
「ねぇ、あのおたまじゃくしは蛙になったかな?」
一通り笑った後に、田んぼに目を落とす僕を見て藤枝が言った。
「なったと思うよ。今は産卵の季節だから、今頃卵でも産んでるかも」
七峰くんは物知りだね、と藤枝はまた笑った。
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