240人が本棚に入れています
本棚に追加
今までの優香なら行かないが、今回は気分転換に行くことにした。
そして数日後の夜。
石本の大学時代の知り合いと言う事だったが、会は賑やかに楽しく会食が進んでいた。
「へえ?君は硬式野球部にいたんだ」
「そうです」
「俺も野球してたんだ。今は仕事で辞めちゃったけど」
「どこのポジション、いいえ?なんのお仕事なんですか」
「七菱地所。マンションを売らないと行けなくてさ。大変だよ」
「七菱地所……あのね、東京サービス事業部って知ってます?」
すると彼は思い出そうとして目を閉じた。
「聞いたこと無い部署だな……」
そして彼はスマホで調べてくれた。
「うん。確かに無いな……それって本当に七菱地所なの?」
「無い?……」
急に頭が真っ白になった優香は、一先ず店の外で迅に電話をした。
「……でない、どうしよう」
富士子もロッキーママもアキラも電話に出なかった。
いても立ってもいられない優香は、店を後にして急ぎ曙町に帰って行った。
澤村不動産のシャッターは閉じていたので、優香は裏口から声を掛けた。
「富士子さん!富士子さん」
「なによ、どうしたの」
風呂から上がって、化粧をしていない富士子は、汗だくの優香にびっくりした。
「はあ、はあ、あの七菱地所は?はあ、はあ」
「源五郎さんの土地かい?今日契約したよ」
「そんな会社は無いって、はあ、はあ」
「なんだって?」
富士子の話では、今現在、厳と迅は彼らと契約を祝して食事をしていると話した。
「七菱地所の人が、そんな部署が無いって」
「待って!もう一度確認するから」
富士子は勇気を出して、遅い時間だったが、ネットに書いてあった七菱地所に電話をしてみた。
「つながった!あのですね。お宅の七菱地所東京サービス事業部の人がね。うちの店で無銭飲食したんですけど」
そんな問い合わせに、しばらくすると、やはりそんな部署は無いと返事をされた。
「……わかりました。どうも」
「富士子さん。どうします」
「……書類を取り戻さなくちゃ」
「今はどこにいるんですか?早く行って、厳さんと迅さんに話さないと!」
「待って、その席に相手もいるんだよ」
そして富士子は意を決して上着を羽織り、男達のいるスナック曙に向うというので、優香も一緒にやってきた。
「優香ちゃん。どう、まだいる?」
「はい。あの男です」
店の外から覗いた二人は、酒を飲んで良い気になっている男達を見ていた。
「よし。行ってくる」
「お気を付けて」
店に入った富士子は、ママに一礼してから男達の席に座った。
「びっくりした?母さん。どうしたんだよ」
「すみません~。私、今日の契約のハンコを間違えたかもしれないんですよ」
「契約書のですか?」
品の良いスーツの男の顔から、急に笑顔が消えた。
「そうなんです~。バカですよね?実印を新しくしたので、もしかして古い方を押しちゃったかもしれないんです」
「……」
「本当に申し訳ないです!お戻し願えませんか?明日必ず間違いなく押しますので」
「本当に間違いなんですか」
「はい。高額の取引ですので、緊張しちゃって。あの、書類はどこですか」
こんな調子で富士子は男のカバンから封筒を出させて、受け取った。
「そしてせっかく預かった手付金も、一旦お返しします。ごめんなさいね」
「……わかりました」
この様子を厳と迅は不思議そうに見ていたが、男の顔から笑顔は消えていた。
「ホホホ。では私は先に失礼します」
最初のコメントを投稿しよう!