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冷房が効いた部屋は、外と比べると天国と地獄らしい。やってきた依頼人は、ハンカチでしきりに汗を拭いていた。
「まだまだ暑いですよね。どうぞお座りください」
詩織は依頼人を、応接用のソファーに座らせた。
少し傷んだジーンズに、ワイシャツ姿。目に入りそうなほど長い髪は、汗で額にへばりついている。
線が細く、優しそうな目が印象的だった。
どことなく、雰囲気がイチに似ているなと詩織は思う。
イチは男の目の前に座ると、丁寧に名刺を差し出した。
「初めまして。御柳一知と申します。本日はお暑い中、我が探偵事務所をご利用いただきありがとうございます」
男は受け取った名刺に一通り目を通すと、同じく自己紹介をした。
「三谷……栗男と申します。よろしくお願いします」
三谷栗男と名乗った男は、深々と頭を下げた。
「栗男さん、ですね。分かりました。こちらこそよろしくお願いします」
「あの……」
イチが頭を下げたタイミングで、三谷は口を開いた。
何かと思い頭を上げると、三谷は申し訳なさそうな表情でイチに言う。
「栗男……という名前が好きではないので、出来れば苗字で呼んでもらってもいいですか?」
蚊にでも刺されたのか、三谷は太ももを掻きながら小さく笑う。
「昔はこの名前が原因でよく虐められましてね。出来れば三谷と……」
「これは失礼。ですが、マロンなだけに、ロマンがあっていい名前だと思いますが」
どんなフォローだと詩織は思った。上手いことを言ったつもりなのか、イチは少しドヤ顔をしている。
しかし、完全に空気を読まなかったようだ。引き攣った三谷の表情がそれを物語っている。
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