惨劇

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 ――霊安室。息が上手くできなくて、扉を開けることができなかった。そばに着いていた警察が目を伏せ、そっと私の背中を撫でた。開けたら全てが失われてしまう。私の記憶も、蒼衣の笑顔も、この気持ちも――。  扉を開けようとしない私を察したのか、小さくため息をついた警察の人が、静かに扉を引いた。瞬間に私はものすごいスピードで視線を巡らせて蒼衣の姿を探す。部屋の中央にどこかくすんだ白い布に包まれた物体があった。震える足で近づいた。あぁ……。  紛れもない蒼衣の死体だった。男にしては白かった肌は、灰色のくすんだ死の色になり果てていた。警察が本人確認のために、顔にかけられた布をそっと(めく)る。もうそれは"物体"だった。人ではない、肉塊。思わず口に手を当てる。そうしないと吐いてしまいそうだったから。  当時の状況を説明してくれているが、耳に入ってこない。聞き取れたのは目撃者の言葉だけ。 「彼が赤信号なのに飛び出してトラックに轢かれる瞬間、微かに笑っていたの。口元が動いていたんだけど、何て言ってたか聞き取れなかったわ。」  どうして――?禁断の恋の味を知って、全てを搾り取って飽きたら捨てた私に対して、どうして笑っていられるの?     
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