(1)

4/6
前へ
/40ページ
次へ
「へえ、そうなんだ」 「そうそう……」  こんなとき、普通の人間ならば、ここから自然と話題を膨らませていくのだろう。思いつつ、けれどもボクには、それができなかった。  つまらない奴、とでも思われただろうか。せっかく向こうから話しかけてくれたというのに、手を差し伸べてくれたというのに、ボクはその厚意をまったくの無駄にしてしまった。  漁港に押し寄せる大波のような自己嫌悪が、このちっぽけな身体を呑み込むまで、そう時間はかからなかった。  周囲のクラスメイトたちとは一転、二人の間に重く凝った沈黙が垂れ込め、いよいよこの場から逃げ出そうとした――そのときのことだ。 「春原さんって、いっつも読書してるから、なんとなく気になる存在だったの。わたしも読書が好きだから……実はずっと話しかけるタイミングをうかがってたんだ」 「え」 「おすすめの本があったら、今度紹介してね」  くすみ一つない前歯を輝かせ、てらいのない笑みを浮かべた美少女。 「……了解」  このとき、この瞬間だった。ボクが空っぽな胸の奥底に「ときめき」の四文字を自覚したのは。それは十五年の人生史上、最も強烈で、鮮烈で、どうにも自制しがたい感情だった。  こうしてボクはあまりに唐突に、単純に、純粋に、あっという間に初恋の渦に呑み込まれてしまったのだった――。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

161人が本棚に入れています
本棚に追加