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「瑠璃、おかえりだよ」
綾が私にそうささやいた。
むろんこれから彼が、いったいどこに向かうのかなどは、私は何一つ知らない。知るはずがない。そもそも私は、二言三言くらいしか、今までに彼と言葉を交わしたことがないのだ。
綾はひたすら怪訝そうな顔で、彼の姿をじっと目で追っている。
「ありがとうございました」
男性に、そう声をかけた。綾も続けて、型どおり口にする。
彼が私たちの前を通り過ぎる時、その左手の薬指に、綺麗な指輪が光っているのが、チラリと見えた。
「……」
扉を開け、外に出ていく姿を、私と綾は見送った。
「ねえ、瑠璃」
綾が、耳元に顔を寄せ、さらにヒソヒソ声で言った。
「何?」
「あの人、今日指輪してた。私今まで、全然知らなかったーー」
淡い夕靄の中、男性の去っていった後の店の前の歩道を、ライトをつけた自転車に乗った人が通り過ぎていく。他にも帰宅する人々や子供などが、後を次々と続いていく。
「……しっかし、あんな変わり者でもさあ、結婚とかできるんだねえ。世の中間違ってるよ。そう思わない?」
綾は一人憤るように、腕組みをするとそう口にした。
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