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博士の部屋の前までやってきた二人は、タクミがリードしノックをした。
―コンコン。
「失礼します」
開いたドアに躊躇いもなくタクミが入っていくと、彼に続くようリーナも小走りで追いかける。 博士は今日も、机に向かい忙しそうに手を動かしていた。
だが手を休めぬまま鏡へ視線を移し今入ってきた者を確認すると、再び作業に戻りながら静かに口を開く。
「・・・タクミにリーナか。 珍しい組み合わせだな」
博士は今休む時間などないと分かっているため、タクミは早急に用を済ませようとした。
「博士。 一つ、聞きたいことがあります」
「何だね」
「どうして僕たちロボットには“恋愛感情”というものが、ないのですか?」
「・・・」
“恋愛感情”という単語を聞き一瞬手のスピードを遅めるが、それでも作業しながら言葉を返していく。
「その感情、どこで知ったんだ?」
「僕は今まで、たくさんの人間と関わってきました。 だから、そういう言葉が耳に入ってくるのは当然です」
そのタクミの言葉を聞き、リーナは少し息が苦しくなった。 彼は今、記憶が消される覚悟で物を口にしているのではないか、と。
そんな彼を止めようとするが、二人の会話は流れるように続いていく。
「・・・そうか。 じゃあ、どうしてそのようなことを聞く」
「恋愛感情。 つまり、人を好きになるということ。 僕たちは人を好きになるという感情がよく分からないので、上手く伝えることができないかもしれませんが・・・。
今まで僕が担当してきた人間たちは、何人か人を好きになっていました。 人に恋愛感情を持つことで、その子には変化が起こります」
「例えば?」
「例えば、好きな人ができて笑顔が増えたり。 毎日を頑張って過ごすようになったり。 色々なものにチャレンジし、積極的になったり。 いいことだらけではありませんか」
「それがどうしたと言うんだ」
「だからその恋愛感情というものを、僕たちロボットにも取り入れるべきだと思います」
タクミがその言葉を言い終えた瞬間、博士の手は止まった。 だが動きが停止しただけで、何も返してはこない。
そんな博士を見て“心を動かせるのはもう少しだ”と思ったのか、タクミは休むことなく更に言葉を放し続ける。
「人を好きになったら、毎日幸せに過ごすことができ、充実した日々を送ることができるではないですか。 それなのにどうして、僕たちにはそのような感情がないのですか?
もし僕たちにも恋愛感情というものがあったら、仕事の効率もかなり上がると思います。 博士だって、僕たちの仕事の腕が上がるのはお望みでしょう?」
その発言を聞くと、博士はゆっくりとその場に立ち上がった。 そして身体の向きを変え、なおもゆっくりと歩きリーナとタクミの前まで進む。
「・・・確かに、タクミの言う通りだな」
「ッ、なら!」
「でも人を好きになることによって、いいことも起きるが当然悪いこともある。 副作用のようにな」
「副作用・・・? 例えば、どんなものですか?」
首を傾げるタクミに対し、博士は悠々と語り出した。
「人を好きになることによって、様々な悪い感情が生まれるんだ。 例えば、好きな人が他の人と関わったりするだけで生まれる、嫉妬や恨み。
いつか自分から離れてしまうのではないかという、不安。 または相手が好き過ぎて生まれてしまう、依存からの苦しみ。
そして好きな人が他の者に取られてしまった時に湧き起る、裏切りからの絶望。
・・・最後に、リーナにも前に話したように、いざその人が自分の元から離れてしまった時に起こる・・・悲しみ」
「悲しみ・・・」
聞き覚えのある単語にリーナはもう一度口にするが、実際今博士が言った言葉は全て、理解ができていなかった。
聞き慣れない単語を綴られ困惑するが、最後に言った“悲しみ”というワードが出てきたため、それらは全て悪いものだということは察せられる。
だけどそれらのちゃんとした意味は、リーナには分からなかった。 タクミは、全て理解できたのだろうか。
「まぁ、今言ったものはリーナには分からないものだと思うがね。 どれもよくない言葉だ、深く考える必要はない」
難しそうな表情を浮かべているリーナを見て悟ったのか、そう付け足してきた博士。 そんな博士に、タクミは静かに問う。
「・・・そうなんですね。 人を好きになるのはいいことだけど、それなりの副作用も起こる・・・」
「そういうことだ。 だから、そんな感情をお前たちには持たせたくないから、恋愛感情というものを作らないだけ。 これは私なりの気遣いだ」
「分かりました。 ・・・なら、もし自分が担当している子が人を好きになってしまった場合、止めるように言ってあげた方がいいんですか?」
「どうしてだね?」
「だって、悲しませたくないから」
「んー・・・。 それはきっと、無理だろうね。 人間にとって人を好きになるという感情は、自然と生まれてしまうものなんだ。
『あの人を好きになるな』と言っても、人間の心は素直に言うことを聞いてはくれない。 だからその場合、静かに見守ることが大切さ」
「・・・自ら、悲しみを拾うようなものなんですね。 人間って」
「そうだ。 人間ってものは繊細だろう? もし人を好きになって悲しんでしまった時、その時こそが我々ロボットたちの出番だ。 悲しんでしまった子を、何とかして笑顔にさせる。
一度悲しみを味わった子に機嫌をよくさせることは難しいが、試行錯誤しながら笑顔にさせていくんだよ。 すぐには上手くいかない。 たくさん失敗し、経験を積んでいけ。
そう考えると、人が悲しんだ時は我々にとって成長のチャンスかもしれない」
「・・・そうですね。 分かりました」
―――・・・。
―――ハルくんは今、自ら悲しみの中へと入り込んでしまったのね。
リーナにとっては知らない言葉が多過ぎて、彼らの会話があまり理解できなかったのだが、後半に話していた内容については納得することができた。
どうやらタクミも反論はしていないため、博士の言葉に頷いてしまったのだろう。 いい面もあるが悪いことも起きる、恋愛感情。
その感情を、我々ロボットたちに持たせて嫌な思いをさせたくないから、取り入れなかったという博士なりの気遣い。
それは納得し、リーナも特には恋愛感情なんて必要ないと、思うことができたのだが――――
―――・・・でも本当に、人を好きになったら悲しいことなんて起きるのかな。
―――今のハルくんを見ている限り、そんなものなんて想像できない。
リーナは博士の前半の言葉には、少し疑っていた。
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