始まり。

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数時間後 悠はしばらく、意識を戻さなかった。 だけど眠っているうちに少しずつ回復し、現実へと引き戻される。 身体は動かないままだが、唯一動かせる瞼だけをそっと開いた。 「ッ・・・」 だが眠ったままでいた悠には急な光の刺激が強過ぎたのか、再び瞳を閉じてしまう。  それから数十秒後、ようやく慣れた瞼を持ち上げ外の世界を見ることができたのだが、あまり見慣れない光景に少し戸惑った。 ―――ここは・・・どこだろう。 今見えるのは、真っ白な壁。 いや――――天井。 “ここは天国なのか?”とも一瞬思ったが、その考えはこの部屋の独特な匂いによって打ち消される。 ―――・・・あ、病院? 身体が弱い悠はよく病院にお世話になっているため、匂いだけでそう悟ることができた。  だけど今まで安静に、ゆっくりと行動することを心がけていたため、入院する機会なんて滅多になくすぐに判断することができなかった。 そこでふと右手に違和感を感じ、そちらへ視線を移そうと首を斜め下に傾けようとする。 「うッ・・・」 だがその瞬間、鋭い痛みが身体中を勢いよく走り回り、小さな呻き声を上げてしまった。 あまりの痛さに首の位置を元に戻してしまうが、それでも必死に右手の方を見ようとする。 すると、悠にとってよく知っている者が視界に映った。 「お父、さん・・・?」 小さな声で呟くと、悠の右手を握ったまま居眠りしていた父が咄嗟に顔を上げる 「ッ、悠! 目覚めたのか? お父さんのこと、ちゃんと分かるか!?」 その言葉に対し痛みに耐えながらもコクリと頷くと、彼は安堵した表情を見せた。 悠が目覚めない間、ずっと手を握り待っていたのだろう。 それで疲れて、そのまま眠ってしまったのだ。 「よかった、本当によかった。 ・・・あ、先生に報告しないとね」 そう言って父は立ち上がり、病室にある固定電話の方へ足を進める。 そんな彼の様子を見ながら、悠は自分の身に何が起きたのかを思い出そうとした。 ―――どうして僕は、病院なんかに・・・。 ―――そう言えば、学校が終わって帰ろうとして・・・。 だけどそれ以上のことは曖昧で、あまり憶えていない。 仕方なく思い返すのを諦め、今は身体を動かしてみることにした。 だが――――想像していた通り、そう簡単にはいかない。 こんなにも身体が思うように動かないのは生まれて初めてで、悠はとても戸惑ってしまった。  まるで全身が石になってしまったような、金縛りに遭っているような、硬くてビクともしない自分の身体。 生きている心地なんて、全くしなかった。 「ねぇ・・・お父さん。 今、何時?」 電話を終えこちらへ戻ってくる父に尋ねると、再び椅子に座った彼は柔らかな表情で答えてくれる。 「今は夜の8時過ぎだよ。 6時くらいまで、悠の担任の先生も目覚めを待ってくれていたんだ」 「どうして僕は、ここにいるの?」 「憶えていないのか?」 その問いに小さく頷くと、父の表情は急に心配そうなものへと変わった。 「担任の先生いわく、悠は階段の下で倒れていたらしい。 生徒が悠を見つけてくれて、それから先生に報告がいって、最後に救急車でここまで運ばれてきたんだ」 その言葉を聞き、悠の記憶は徐々に蘇ってくる。 ―――あぁ・・・そうだった。 ―――誰かが僕に当たって、階段から落ちちゃったんだっけ。 ―――僕に当たった子、大丈夫だったかな。 その行為がわざとだと知らない悠は、健気に他の生徒のことを考えていた。 だけどそんなことは関係ない。 今は自分の身体を、どうにかしないといけないのだ。 「悠くん! 思ったよりも、目覚めが早くて安心したよ」 病室の自動ドアから突然現れたのは、清潔な白衣を着た医者である。 先生は悠に不安な思いをさせないようずっと笑っていてくれ、その状態のまま色々な検査を行った。 悠が目覚めない前にも一度検査を行ったらしいのだが、念のために、と。 命に別条なく、記憶に関しても問題ないらしい。 そして検査の結果、悠の身体は全身骨折しており、数ヵ所打撲。 身体の弱い悠にとっては階段から落ちるだけでも物凄い衝撃で、これだけの怪我を負った。 それに普通の人ならば最低半年くらいで完治するらしいのだが、悠の場合は一年以上もかかる、とのこと。 「これからの入院生活は長いからね。 先生と一緒に治療やリハビリを頑張って、少しずつ治していこうね」 先生はそう言って、優しい表情で悠の頭を撫でてくれる。 しばらくは、まともに動けるまで――――いや、上半身を起こせるようになるまでは時間かかるだろう。  その間は何もできないため、とても退屈な日々が待っている。 “僕、生きている意味があるのかな”と、考える程だった。  学校へ行けないことに関しては何も思わないのだが、友達もいない悠にとってはこのつまらない入院生活は地獄でしかない。  せめて多少動けるのなら問題ないが、しばらくは寝たきりの状態が続くのだから。  ―――本当、僕の人生はろくなことがない。 先生は悠の右手に、ナースコールのボタンを握らせてくれた。 『何かあったら、これを押して呼んでね』と。  ―――こんなにも動けないのなら、僕は死んだも同然だよ。 だけど数日後、悠に転機が訪れる。 今まで思うことはなかったのだが、初めて“入院してよかった”と思えるような、心温まる出来事が。
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