1:晩春のサジタリウス

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「あーあ、そろそろ帰らなくちゃ」 円香が腕時計に目を落として、残念そうに言った。 あのピンクゴールドの腕時計はGUCCIだ。 結婚記念日に旦那様にもらったらしい。 いいなあ、私なんて、結婚記念日にお祝いどころか、たまたま男友達からLINEが来て、それを夫に見つかってデータ消されてたのに。 ちなみに、私の腕時計はAngelHeartのエターナルクリスタル。 何が「エターナル」だろう、永遠なんて、私には一番縁のない言葉だ。 会計を済ませて、店を出た所で、円香が「あ、そういえば」と何かを思い出したように口を開いた。 「ブリリアントの営業担当、代わるの知ってる?」 ブリリアント、正式名称はブリリアントホテル東京。 高級なシティホテルで、うちの会社の取引先だ。 「ああ、らしいね。なに、人事異動?」 「多分そうじゃない?で、明日新しい営業さんがうちに挨拶に来るらしいわよ」 「めんどくさ。挨拶なんて電話でいいじゃん」 その挨拶の窓口は私なのだ、思わず口を尖らせると、円香は「まあまあ」と私をなだめる。 「もしかしたら、響子が好きそうな若いイケメンかもしれないわよ?」 「女性かもしんないでしょ」 「ま、念のため気合い入れてメイクしとけば?」 円香はそんなことを言って「じゃあ、また明日ねー」と手を振った。
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