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ここで視点を
両者の背景へと移しましょう。
感応丸が住んでいたと思われるところに
谷中天王寺という寺社が御座います。
今は天台宗の仏閣となっておりますが
その昔は長燿山感応寺という法華宗の仏寺でありました。
これは法華宗の日蓮聖人が
鎌倉と安房の地を行き来する際
感応丸の父である関小次郎長燿の屋敷に身を寄せたことから、長燿が法華経に帰依し
草庵を結んだのが開基とされます。
法華宗日蓮といえば
信心強情な姿勢で知られる烈人で御座います。
それに帰依した長燿もまた
相当に熱心な信者であったと推察されましょう。
少し思いを馳せますに
この仏寺の名称が『長燿山 感応寺』であったこと
長燿の、感応丸への親心が垣間見られませぬか。
さらには、もしや息子を弔うために──などと考えますと
子を喪った親の哀しみが如何ばかりであったか
身につまされるものが御座います。
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