不忍池小噺

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さあ。 ところ移して池の対岸、向丘(むこうがおか)。 ここには赤門で有名な、東京大学の本郷キャンパスが御座いますところ。その昔は加賀藩藩主の屋敷でありました。 そこ近辺に柳の前が住んでいたようで御座います。 この柳の前の父御は 隅田(すみだ)治部(じぶ)大輔(たいふ)という官吏でありました。 はい? どんな役職かわからない? ええ、私も調べるまでは ろくに漢字も読めずにおりました。 治部(じぶ)省とは 外事・戸籍(姓名関係)・儀礼全般を管轄し姓氏に関する訴訟や、結婚、戸籍関係の管理および訴訟、僧尼、仏事に対する監督、雅楽の監督、山陵の監督、および外国からの使節の接待などを職掌としていた。 しかし平安時代以降は姓氏に関する事項を扱うことは少なくなり、894年(寛平6年)に菅原道真の建白による遣唐使廃止以降、中国などとの正式な国交がなくなったことにより、外国からの使節の接待もしなくなる。更には、戸籍制度の解体とともに戸籍関係の職務も遂行不可能になり、もっぱら僧尼、仏事、雅楽及び山陵の監督を職務とすることとなった。 ……とあります。 要するに柳の前の父御は この隅田一帯における仏事全般に関わっていた、ということですな。 大輔(たいふ)とは長官に次ぐ(くらい)でありますので 言うなれば、ボスの右腕といった立場で御座います。
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