不忍池小噺

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感応丸と柳の前の悲恋は先に述べました通りで御座いますれば 今度はふたりが相会っていたという、この舞台の説明を致しましょうか。 不忍池(しのばずのいけ) 東京・上野といえば 昨今ではパンダの赤ちゃんで有名な動物園しかり 恩賜公園に美術館やアメ屋横町 また、湯島天神や浅草寺など 少し足を伸ばせば有名な寺社仏閣もほど近い、いわゆる観光名所と言われる一帯で御座います。 はて、しかし。 なぜ不忍(しのばずの)──と呼ばれておりますのか? 不思議に思われる方もいらっしゃいましょう。 由来といたしましては 各地の名跡名事を紹介している『望海毎談』という書物では 男女が人目を忍んで逢っていたのをもとに名付けられた── これは今回ご紹介する悲恋伝説のことでありますが 別の文献によりますれば、 当時、池の北側にある上野台地は 『(しのぶ)が丘』と呼ばれており 対して、反対方面に位置するこの池は 忍が丘ではないという意の『不忍(しのばず)』から 『不忍池(しのばずのいけ)』と呼ぶようになったという説が御座います。 また、水辺に繁茂する笹や蒲が 池の縁に、さながら輪のように連なって見えたことから 『篠輪津(しのわづ)』が転じて『不忍(しのばず)』となったとも。 今もどれがどれと決定打がつかないほどに、最もらしい諸説が文献の中に溢れております次第。 image=511432238.jpg
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