第一章 初恋の花

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達也は笑顔で頷き、さっさと石段を降りて行く千佳に続いた。達也には気がつくはずもなかったが、千佳にとって今の達也はもはや、幼友達の感覚ではなかった。いつ頃からなのか、千佳の心の奥深くには、達也に対する「愛」がそっと芽生えていて、淡い初恋の香りが清純な千佳の心の中に漂っていた。砂浜に降りると海を渡ってくる夏の名残を含んだ潮風が千佳の髪を優しく揺らしていった。太陽は、今日の思い出を運んでいくように、今その姿を隠そうとしている。千佳は小石を海に向かって投げた。千佳がここに来ると必ず見せる仕草である。小石はまるで 今の千佳の心を物語るようにあくまでも透明な海水に揺れながら沈んで行く。 海面には小さな波紋が広がりすぐに消えた。 千佳は気づいていた。自分の達也に対しての「愛」に。しかしそれが「恋」であることには、まだ気づかなかった。 「愛と恋」この微妙な言葉の違いさえが今の千佳には必要だった。ただそのどちらにせよ確かに千佳はこの年代に相応しい女性としての心の扉を開こうとしている。そして千佳の、決して早くはない初恋の相手が達也であることは至極自然であった。 今日まで物心がついてから幾年(いくとせ)千佳と達也の間には何事も隠し事をしないといった不文律のようなものが自然と生まれていたが、千佳は少しだけその約束を破っていた。 千佳の性格からして今更、達也に向かって 「好きになったみたい」などとは言えなかったのである。 しかし、この時、もし千佳の精神がもう少し大人に近かったら、それとも、もう少し思いのままを言える子であったなら今、この日暮れの浜辺はその心の一部分を告白するにふさわしい情景であった。だが千佳はそのどちらでもなかった。 「もうすぐテストだね。今度の数学は範囲が広いからいつも以上に苦しみそう」     
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