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 ――その筆を使ってみようと思ったのは、祖父の死から半年ほどたってからだ。  祖父の隠れた芸術的地位が分かってきて、親族会議でもその話題はしょっちゅう挙がっていたらしいが、まだ高校生の私には遠い世界の話だ。私にとってみれば、祖父がすごいひとだと言うことがわかった、それでいい。  ただその日は、祖父が遺してくれた美しい筆を何となく使ってみたくなって、近くの公園にスケッチに出かけたのだ。 (あの青い空を、そっくりうつして描けたらな)  いい天気で、真っ青な空にぽっかりと雲が浮かんでいる。空を見上げるのは好きだ。何となく、晴れやかな心持ちになる。  私は下描きをするでもなく、思うままに水彩絵の具でその空を描いてみたくなったのだ。空の青は、不思議なくらい美しく、何度も重ねて塗る必要があるだろう。  せっかくなら、あの空の青を綺麗に描いてみたいものだ。  私だって、あの祖父の孫なのだもの。  祖父の筆を握って、虚空にそれを滑らせる。――と。  ふっと、筆のしなるのを感じた。見れば、穂先には綺麗な青い色が含まれている。  私はそれを見てぽかんとした。だって、私はまだ絵の具の準備が終わっていないのだから。  どういうことだろう。分からない。  しかし、分からないままにその筆を紙に滑らせた。筆に含まれた青を、紙の上で見てみたくなって。  すると、まるでその細やかな濃淡までも表現しているかのような、見事な空の青が再現されていたのだ。  私は呆然と、その筆を見やった。けれど、その筆はまだ青い色を含んでいて、描いても描いても、なくなりはしない。  まるで魔法の筆だ。  ――もしかしたら、『蒼の魔術師』は、この筆があったからかしら。  そう思ってしまうくらいに。
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