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某青年漫画で、大戦争の後に生き残った人達がまだそれほど被害が深刻ではない北海道に、ヒッチハイク等の手段で集まってくる、というのを見た事がありますが……。
なんか、それを思い出すようなシュールな光景。
普段なら宅配のバイクや、ビジネススーツや学校制服姿の人達が地下鉄に向かう細い路地。
その道を。みんなトレーナーやTシャツ姿で、リュックを背負って淡々と歩いて行きます。
ワタシは子供の頃、虐待児童でした。
エッセイに書いたように、一年前には乳ガン告知を受け、闘病生活も経験しました。
そして今、胆振地震に巻き込まれた訳ですが。
つくづく思う。
私達が当たり前のように「分かっている」と思い込んでいるものは、その殆どが本当は「分かっていない事」なんだということ。
ワタシはずっと「震災」と聞く度に、例えば避難所での不便な生活や、TVのニュースで流れてくる津波や土砂崩れ跡の映像、義援金とか、政府の発表の記者会見……数多くメディアで流されているもの。
そういうものをイメージしていました。
某囲碁漫画で
「傍観者は、対戦者より冷静な目で盤上を見られるというだけで、その対局の深い部分までは見えない」
という台詞が有りました。
ワタシは正直、今でも自分が「被災した」とか「震災」と口に出すたび、ほんの少しの違和感を感じるのです。
恐らくそれはワタシの中の震災イメージが長らく、ニュース映像として取り上げられた、誰が見ても分かり易く編集された「災難」であったから。
まあ実際に、それは一部真実なんだけど。
それ以上でも、それ以下でもなく。
その一部の外側には、その何倍もの人数のリアルが存在している。
こうやって、何時もはブラウン管の向こうから覗き見る世界を、今実際に内側から眺めて見ると。
そう、はっきりと実感出来るのです。
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