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だが、これは表向きのこと。実質的な惣大将は、今や土佐の大半を手中に収めた【長曾我部宮内少輔元親・官位・従五位下《じゅごいのげ】が務めているのは、陣中に重なり連なる旗印からあきらかであった。
軍勢の直接の指揮は元親の実の次弟である【吉良播磨守親貞・官位・私称】という名の、精悍な男が任されている。元の名は、【長曾我部弥五郎親貞】といった。
つまり、土佐最大の勢力となっている長曾我部家の当主である長曾我部元親が、自身の支配下の内、此の国の中央部に位置する長岡郡、吾川郡、中央東側に位置する高岡郡の兵をこぞってこの地に参集させ、決戦兵力としているのだ。
対する貴人は、一昨年領地である幡多郡から追い出された男で、遠く九州は豊後国の太守。自身の妻の親である【大友左衛門督宗麟・官位・従四位下・洗礼名ドン・フランシス】の庇護下に入り、およそ一年ほどこの土地で起居していた。
それが何の考えあってのことか、自領から付き添ってきたかつての重臣や近習などの僅かな人数と、大友氏から与えられた、これまた僅かばかりの軍勢を引き連れ旧領に還ることにしたのだった。
やがて彼の率いる小集団は伊予国の南予地方に上陸した。
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