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聖なる夜明け
(アユムには、まだアユムの物語がある。それは君を支えてくれる)
深い淵の底、望む闇の揺りかごで、彼の言葉が幾重にも重なって反響する。
(血を流しているね)
(アユムは私たちを愛してくれるかい?)
(君が私たちを愛し続けるなら、その縁は切れないだろう)
(そうだな、こんな物語はどうだろう。君はいつか私よりもずっと偉大な、そう、かの大公のように偉大な者と出逢うだろう。そして君は新たな物語を始める)
これは夢が聞かせたいたずらか。僕から僕へ向けられたに過ぎないものの……はずだ。
僕はただ闇に身を委ねた。
僕は死ななかった。死ぬ訳なかった。
目覚めとともにそれを自然と受け容れて、冷たいソファーから起き上がった。
彼はどこだろ。
テラスへの扉が少し開いているので、早朝の白っぽい青空のもとへ出た。
鳩舎のほうへ近づく。あの子たちがいやに静かだ。すべての翼が、まだ靄のような眠りのなかにあるのか。
彼が後ろ姿を見せて立っている。
「おはよう」僕は近づく。
朝日は薔薇色を空に巡らせ、光に縁取られた黒い翼が翻る。インバネス姿の彼が、振り向いた。
眠気が、消失した。
彼は口元をあかく、宝石の色に輝かせた。
悪意のない手のなかでは柔らかな白い生き物が、恍惚と死の最期の痙攣を放っている。
和毛をこぼして、鳩は弱々しく鳴いた。犠牲の為に育てられた、その果ての姿で。
僕は彼の彼たる瞬間を初めてみたのだ。話に聞いただけで、実際に見たことはこれまでなかったのだ。
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