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延々とキーボードを打ち続けている。冴えない音が指先から溢れている。文字は順調に機械的に並べど、気分は浮かばない。地味なオフィスに浮かない色の服を着て、社会的に好ましいとされる化粧と髪型で生活を送っている。誰だってそうだ、夢を見るのにだって時間と場所をわきまえなければいけない。 突然、休日に見た景色が本当に幻のように思えて、休み時間に音楽を聴く。このフレーズでこの足取り、全て知っていても会社のカーペットの上では足が重すぎる。音量を大きくすると、聴き込むほどゴチャゴチャとした機械音楽は低音と高音が分かれて聞こえる。主なリズムを刻み足運びの基礎となる低い方の音に、キチンと椅子に座ったまま耳を澄ませていると、どうしようもなく腹の底が疼くのだった。 深い赤と光る銀の絵の具をとった筆で思うがままに描かれた自由に回転する曲線の数々、これが興奮しながらおぼろげに覚えている祭の光景だ。ただ冷静に見たらハリボテのような舞台の上で、普段は雑踏の中に紛れ込んでいるような、何ら特別なものを持っているわけでもない人間の姿が、どんな世界を描けるかどうかが重要だ。 忙しなく動くから観客は全員の正確な動きは捉えられないがそこは問題ではない。しかし、指先まで完璧な動き、正確な足取りが要求される。気迫と感覚だけが見せる幻のような世界だから、少しの綻びですぐに壊れてしまう。 だから、頭の中で音楽を鳴り止ませなかった。例え音が聞こえなくなっていたとしても。
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