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いつしか耳が悪くなっていた。気付いたのはその直後、着地した瞬間、一瞬だけ目の前が真っ暗になった。平衡感覚が失われていることを、本能的にいたく実感した。まだ曲は終わっていないのに、現実にズルリと引きずり込まれる。体の感覚を取り戻そうと躍起になったが、出来ていないことは、感じたことのない体の不自由さで分かった。最後に訪れる静寂にだけ気合で追いついた時、動いても乱れないようにセットした前髪が目の前に垂れてきていた。花の髪飾りが落ちて、踏まれてぐちゃぐちゃになっていた。観客席から聞こえた拍手は、自分がいる世界とは完全に隔絶されていた。舞台上で、自分だけが現実に打ちのめされていた。 視界が勝手に揺れ動く。脳まで揺れて吐き気を催すことが増えた。自分の両腕が真っ直ぐ上がっているのか分からない。立っているのがやっとだ。大きな音楽を聴き続けていたのが原因だと考えるほかなかった。平衡感覚は失われた。 転倒が増え、繰り返される複雑な動きに着いて行けなくなった。それでも、眠ったら夢を見るように、あの舞台での光景を当然のように手放せなかった。 踊り方は手取り足取り知っているのに、身体が思うように動かない。足取りは知っているのに、もつれてテンポが遅れる。ターンをしてみれば、バランスを崩して地面に手をつく。 辞めたほうがいい、という正論は心の中で焼き殺した。夢を見るために体が犠牲になっていたが、夢を見なければ死んでしまうのも確かだった。 果たしてこの時、自分は正しい判断をできる状態だっただろうか。 気付いた時には、とある祭会場の端にある救護テントの下で、衣装の帯を緩めて寝かされていた。首の下にはタオルで包んだ氷が置かれていた。何が起きたかすぐには理解できなかった。 まだ始まったばかりだったように思う。一度目の演舞で倒れてしまった。追いつかなければならないのに、体が言うことを聞かない。 大きな白い袖を振りかざし、指先を天に向けたところまでは見えていた。その直後の記憶がない。 簡易ベッドの上で、聞き覚えのない演舞曲が聴こえた。知らない曲ではあったが、威勢のいい口上と踊り子の叫び声、地面を伝わり響く足音はひどく耳馴染みがよかった。
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