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少しあきれたような、柔らかい声。こちらには聞き覚えがあった。
彼のような人間には、鈍くさく映るのかもしれない。
「ありがとう」
彼が左側に寄ったのを見て、頭を下げる。
それだけでなく、進めば進むほど雑巾を手にした人がいて、思わず泣きそうになった。
何人目かに礼をして、教室のドアを閉める。ざわめきというかどよめきが聞こえたが、振り返って確認する程の勇気も余裕もなかった。
「やばいよ、ソレ」
昼休みに隣のクラスの友人にかけられた一言。意味を悟ったのは、放課後だった。
体操服姿の集団の中でやたら目立つ、制服姿。
かける言葉もチャンスも見つからず、そのまま走ってグラウンドを横切った。
夕方の洗濯物。あの子が見つめていたのは、制服でも、給食エプロンでも、
私でもなかった。
次に彼の声を聞いたのは、卒業式から数日経った日のこと。
公園で足を洗う元クラスメイトにあの子が自分から近づいたのには、驚いた。
例の体操服だって、スーパーの袋に入れたのを机の横に吊すので精一杯。そのために、朝は1時間も早起きしたのだから。
「使って」
差し出した。
「いいよ、家近いから」
派手にこけたのか、膝が赤かった。
すぐだと言う割に、水を止めようとしない。
「あの時のお礼だから」
少しだけ、声が震えた。
それがわかるのは私くらいで、彼はきっと気づかないだろう。
「そう」
受け取るというよりも、取り去るような手つき。
慣れた様子で結ぶ―――かと思いきや
「ちゃんと洗ってるし、問題はない」
たたみ直して右膝に結んだのは、持ち主だった。
「利口なんだな」
性格のことを言っているのか、よそ行きモードになっている妹のことを言っているのか。
「どうも」
どちらにせよ、今のは褒め言葉。
「明日返すから、朝、駅まで」
「無理、学校の説明会...」
耐えられなくなって遊具に走り出そうとするのを捕まえる。話し込む意志はない。
「どこだっけ」
「北高」
「やっぱな」
頭がいいと言われるのは嫌ではないけれど、それは必死に頑張った結果だから。
今回のお祝いは、犬のイラストが描かれたハンカチだった。
優しいあの子は、包みを開けて戸惑ったように笑っていた。
けれど、お似合いだった。
私なんかより、ずっと。
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