7・着床

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 “亭主元気で留守がいい”  “飲みに行く”じゃなくて、“泊まりがけで一週間遠方に出張”だったら尚更いいだろう。  今夜は夜通し……っていうのは通話料金的に無理だけど、誠が居ないから謙介さんといっぱい電話出来る。……ちなみに謙介さんは私の方から掛けると、わざわざ折り返して掛けてくれる。通話料が安くなるプランに加入してるらしい。  今朝ラインで『旦那が朝帰りするから』って送ったら、『浮気じゃないの?』と脅されからかわれながらも、『じゃあ尚更都合いいじゃん』と嬉しいメッセージを返してくれた。  謙介さんは誠と違った優しさを持っている。  私と誠のやり取りみたいな建前だけの優しさなんかじゃなく、互いに喜びを分かち合える優しさを。  フライヤーの中に油が溢れるくらいの量の唐揚げを投入する私の傍らで、謙介さんがクッキングシートの敷かれた鉄板に塩サバの切身を綺麗に並べながらアドバイス。 「そんなに一気に入れたら油の温度が下がっちゃうよ。一回でその半分の量だけでいいから。揚げ終わったら必ず温度計奥まで差して正確に計ってね。大丈夫。ピークの時間までには充分間に合うから、くれぐれも火傷しないようにね」    この人と共に人生を歩みたかった。  誠と出会う前に出逢いたかった。  もしも出逢ってたら、紗栄子なんかよりも私が選ばれる自信があった。  彼と一緒だったなら、きっと夢のマイホームも手に入れてた。  古い暖炉の側で子犬と戯れてる謙介さんを想いながら、部屋中に真っ赤な薔薇を飾ってた。  もしも出逢ってたら……とか言ってるけど、よく考えてみれば、誠と結婚しなければ。  羅王が生まれてなかったら。  謙介さんが紗栄子と結婚してなかったら、私はこの弁当屋で働いてなかった。  謙介さんと出逢えてなかった。  だから誠とどうにかして綺麗サッパリ離婚してリセットしてからじゃないと、謙介さんとの本物のロマンスを現実にできない。  そんな犠牲を払う条件付きの幸せを目の前でちらつかせて。  神様はなんて残酷なんだ。
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