人喰い鬼のための物語

11/14
前へ
/14ページ
次へ
 その晩、私は下宿に戻らなかった。  近所に住む友人の家に頼み込んで上げて貰い、そのまま執筆に向かった。  物語を組み上げ、コマ割りを決め、藁半紙に書き散らした下書きを元にページを埋めていく。  その勢いに呆れ返った友人が何か言いたげなのを無視し、夜通し書き続けた。午前二時に万年筆インクが切れたので、友人のインクを拝借した(あとで発覚して怒られた)。  作品は作者の心血で出来ているという言葉の意味を、この夜理解した気がした。  人喰い鬼も姫君も、村人たちも、路傍の石でさえ、私の血から生まれた我が子だと思えた。  夜が明け朝日が差したとき、七割ほどが描き上がっていた。徹夜明けだというのに思考が冴えて奇妙に集中は途切れなかった。午前十時、最後のページを描き上げ、完、の文字を入れたとき、隣で眺めていた友人が拍手した。 「いや、凄いもんだ。よく仕上げたな。授業をサボって見る価値があったよ」  呑気に言う友人に、夕方五時に起こしてくれと言い捨て、私は倒れるように眠りについた。  あたたかい春の宵、いつもの時間。  彼女はベンチに腰掛け、私のノートに熱心に目を走らせている。何度も、何度も読み返している。  私はそれを図書館からそっと眺めている。彼女も私がここにいることを知っているのだろうが、昨日宣言したとおり、無視を決め込んでいる。  やがて彼女は立ち上がり、ノートを手に去って行った。  私は追わなかった。  あの作品を彼女が手元に置きたいというのなら、彼女にはその権利がある。あの物語の半分は彼女との語らいで生まれた――『人喰い鬼』改め、『人喰い鬼のための物語』は。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加