人喰い鬼のための物語

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 私は地方で医院を営んでいた父の後を継ぐことを嘱望されていた。本来なら五つ年長の兄がそうなる筈だったのだが、満州北部に出兵していた彼の安否は敗戦後も不明のままで、母と私を除く親族全員が彼は死んだものと見做していた。戦時中、過労が祟り早々に鬼籍に入った父の後釜として現在医院を経営している父の弟には息子がいない。私は十九にして学ぶべき専門と将来を決定づけられ、叔父の娘を婚約者に定められていたのだった。  医者になることに不満があったわけではない。  人の命を救う仕事に就いた父を私は心から尊敬していたし、自分も人を救いたいという気持ちを持ち合わせていた。学業は厳しかったが乗り越えることが出来ると思っていた。  だが、一方で抑えきれない感情のうねりを身中に感じていたのも事実だ。  それは恋も知らないうちに決められた婚約者の存在であり、兄の継ぐはずだった場所に居座り金策に奔走しているように見える叔父への反発心であり、そして私自身が医学というものの限界に対して感じていたもどかしさであった。  人の怪我や病を治療するのは医学にしか出来ないことだ。それは理解している。だが、街角で片足を失った若い男が虚ろな目で通りを眺めていたり、三人の息子を失った母親が夜中に泣き叫んで走る姿を目撃すると、医学の救いの手から零れ落ちた人の多さに愕然とさせられてしまうのだ。同級の医学生や教授たちは言う。傷が癒えた後のことは彼らと家族に任せるしかない、治療を待っている者は他に大勢いるのだからそちらに集中すべきだ、と。もっともだと私は一応納得する。  だが、癒えない傷を抱えた人々に再び出会うと、私はどうしても彼らの姿を無視することが出来ないのだった。  何かしたかった。肉体の傷が癒えても消えない苦しみを、医学に携わる者として何とか軽減したいと思った。しかし、その当時の私はなにひとつ為す術を持ち合わせていなかった。現代の精神医学やカウンセリングの技が当時知られていたら、また違っていたのかも知れないと、今だから思う。  結局、私がしたことは、物資に乏しい東京の片隅で漫画を描くという、およそ治療とは関係がなさそうで、人生の無駄と誹られかねないことだったのだ。
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