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漫画を描くのは好きだったし、才能があると自負してもいた。
初めて絵を描いたのが幾つの時だったのか私は覚えていないが、母はまだオムツの取れないうちに猫の絵を描き出したと言っていた。それを見た祖母が私に絵を習わせるよう主張し、私は字を覚えるより先に絵筆を握っていた。経済的に余裕があったので画材は比較的自由に買ってもらえたし、紳士のたしなみとして洋書の立派な画集を何冊も揃えていた父が書斎に入ることを許してくれたので、私は古今の偉大な画家たちの作品に親しみ、それを真似て描いたりしていた。
父の書斎には少年少女文学全集も揃っていて、私はそこで物語の世界と最初の邂逅を果たした。竹取物語、千夜一夜物語、ファウスト、ノートルダムの鐘、三銃士、グリムやアンデルセンの不気味で魅惑的な童話の世界。それらと触れ合い、初めて私は物語を作りたいと思った。
作文は苦手だが絵は得意という私は、やがて漫画という表現に魅了された。
学校でも家でも暇を見つけてはノートを漫画で埋めて、出来上がったものを同級生に見せたりした。私のノートは人気を博した。友人のひとりが授業中に読んでいたのを先生に没収されたことがある。後で職員室に呼び出され担任に言われたのは「もっと描け」の一言で、これが後の人生を決した一言と言っていい。
時代は暗黒に向かって突き進んでいたが、私の周りは不思議と理解のある人々が集まっていたので、私は小学校時代を通して呑気に漫画描きを続けることが出来た。
しかし中学高校時代はそうはいかなかった。軍国教育が盛んになり、私の描くものは無駄と敵性言語に満ちているとして竹刀でぶたれたこともある。何より空襲に怯える日々に漫画を書き続けるのは困難で、私はすっかり物語を紡ぐことを忘れていた。
それが東京で医学の限界を思ったとき、考えるよりも先に手に取ったのはペンだった。
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