フェードアウトの結末

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 勿論口から出任せだ。何なら彼の耳たぶにほくろがあるなんて今この瞬間初めて知った。沈黙。きっと、もうこれで大丈夫だろう。やはり、かつて会っていた頃から感じていたように、彼はおかしな行動をするようなタイプではない。たまたま逆上して、待ち伏せなんていう突飛な発想に至ってしまっただけで、根は真面目な人なのだ。毒の抜けたような顔を見て、彼女はほっと安心した。 「じゃあ、私はこれで。もうこんなことしないでくださいね」  答えはなかった。彼女は踵を返しその場を離れた。ただでさえ疲れているというのに、こんなことになって。やっぱり婚活アプリなんていう怪しいものに頼るべきではなかった。最寄り駅の名前を告げたのも失敗だった。今後はこんな事態を引き起こさないよう、気をつけなければ。彼女がそう心に誓ったときだった。 「マリさんっ」  耳をつんざくような声。悲鳴に近いそれに思わず足を止める。振り向いた彼女は言葉を失った。 「これなら……これならいいだろ!?」  彼の頬が濡れている。白い明かりに晒された彼の顔をだらだらと垂れ続けるそれは、信じられないことに耳から吹き出す血だった。右手に小さなナイフのようなものをぶら下げた彼は、赤く染まった刃物を振り回しながら何やら喚き続けている。足元に転がる塊は、もしかしたら、彼が自ら切断した耳の一部だろうか。彼女は何も言えず一歩、二歩と後退った。異様な雰囲気を察したのか、遠巻きに見ていたサラリーマンが何やら電話をしている。駅員が駆け寄ってくるのも見える。彼はこちらに近づきながら、ぬらぬらと光る頬を持ち上げ笑っている。マリは遂に腰を抜かして尻餅をついた。 「あんたの嫌いな耳たぶもない。これならいいだろ? なあ、答えろよ。なあ!」  駅員が男の腕を掴んだ。しばらく揉み合って、怒号が飛び交う。同じく駆け付けたサラリーマンの力添えもあり、刃物はそれ以上誰の皮膚にも傷をつけず没収された。彼は虚ろな目をして、未だに彼女に向かって何やら訳のわからないことを喚いている。警察を呼びましたから、もう大丈夫ですよ。やさしく話し掛ける駅員の声も耳に入らない。彼女はじっと考えていた。男は何日も前からここに立っていた。一体、彼は隠し持った刃物を何に使うつもりだったのだろう。呆然と床を見つめる。ころんと転がった肉片が、血溜まりの中に沈んでいった。 End.
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