くちなしの香り。

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 憲二が生まれたころに亡くなった祖父がことのほか好んだ花だったと、長兄たちは語り、夕方に庭の奥の山手の方に自生するそれを見せに自分たち妹弟を連れ出したこともあった。 『一番きれいなのは、咲き始めだから』  翌日になると花弁が黄ばんでしまうのだと教えられた。  六枚の白い花弁を反らせるほどに開いてめしべを突き出し、強い芳香で生き物を惑わす花。  宵闇にその白さは妖艶で、異様でもあった。  むせるような香りに取り囲まれ、うっとりとその花を見つめる兄と峰岸を怖いと、その時は思った。  それからしばらくして、点在する東屋の一つの傍らに同じような香りを発する木を見つけ足をとめたことがある。  油を塗ったかのように光る肉厚の緑の葉の先に、薔薇のような花弁をつける、白い花。  薔薇に似ているけれど、薔薇にあらず。  そして、香りはいつかの妖花に似ていた。 『これも梔子。八重梔子っていうんだよ』  言葉を解するようになると勝巳は誰よりも植物に詳しくなり、いつも庭師になりたいと言っては大人たちを微笑ませていた。 『でもこの花は、実をつけないんだ』  ようやく十歳を超えた頼りない指先が、そっと、いたわるように花びらに触れる。 『なんで?』  別に興味はないけれど、なんとなく気になって尋ねた。 『この真ん中の薔薇みたいに巻いている部分が、おしべだったところだから』  実を結ばない花に咲く意味があるのかと言いかけて、口をつぐんだ。  雄蕊を花びらに変えてしまった花だなんて、まるで自分のようだと思った。  闇に浮かぶ白、そして華美な姿に変えた雄蕊。  あらゆるものを引き付けようとする強欲な薫り。  虜にしたいのは一人だけ。  だけどそれは叶わないことを知っている。  行き場のない想いがあふれて甘すぎる香りをまき散らし、そしてそれが無用の虫を呼び、勝手な卵を産み付けられて身体をむさぼりつくされる羽目になるのだろうか。  暗い気持ちに沈んでいくところを救ったのは、勝巳の柔らかな声だった。 『喜びを運ぶ花、だって』 『え?』 『桐谷のおばあさまが言ってた。向こうの国ではダンスのお誘いとか、結婚して下さいってお願いするときにお供する花なんだって』
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