くちなしの香り。

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 向こうの国、とは、祖母の滞在するスイスのことを言っているのだろうか。 『だから』  勝巳は庭に出るときに持ち歩いている園芸用のナイフを器用に操って枝を切り、余分な葉を落として体裁を整えた後、自分に向かって一輪差し出した。 『憲にいいことありますように』  あまりにも真剣なまなざしに思わず笑った。 『勝巳、それはちょっと意味が違う』  お守りじゃないんだからと取り合わないでいると、花を差し出したまま見るからに気落ちしている弟が可愛そうになり、あわてて受け取る。 『よかった』  ほっとした勝巳は、無邪気に笑ってなおも言う。 『憲に、良いことありますように』  どうして。  どうして、勝巳は。  問いたいことはいくつもあるけれど。  その緑に染まった眼差しがあまりにも高潔で、身の置き所のない恥ずかしさが先に立った。 『・・・ありがと』 『うん』    気が付くと、花園の思い出は幸せだった頃の記憶で埋め尽くされていく。  生まれてきた自分を拒絶して以来相容れることのない父、完璧すぎて憎かった長兄、そしてそんな長兄だけを盲愛した峰岸。  更に、真神をまるで宗教家のように信仰する地元の人々。  輪に入れない自分たちは真神の邸内にいるにもかかわらずはじき出され、別棟とそれに続く花園で幽閉に近い日々を送ったはずなのに、むしょうに帰りたくなるのはなぜだろう。  母と、姉と、家を預かる者たちと、勝巳。  花を眺めつづけた日々。 『不思議だよな。同じ実から黄色も青色も作り出せるなんて』  いつの間にか真神のだれよりも大きな身体になり、庭師や家政婦たちと庭を悠然と歩き回る弟。  収穫の秋に、笑いながら赤い実を摘み取る勝巳の太い指。  短く不格好な爪。  坊ちゃん育ちのくせに、まるで働き者のような大きな手のひらが緑の葉の中を行ったり来たりするのを飽きることなく眺めていたのは、いつのことだろう。 『憲はどっちが良い?』  いつでも、勝巳は静かに笑う。 『憲の、好きな色に染めようよ』  どうして。  どうしてお前は、そんなに綺麗に笑っていられる。  梔子の花は、その美しさを一夜しか保てないのに。
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