3/7
前へ
/42ページ
次へ
 地面を見つめたまま、唇を固く引き結んだ。  無言で見つめた木陰には、新芽がちらほらと顔を覗かせている。長い冬を耐え抜いた大地の生命は、控えめにだが、萌ゆる春の訪れを告げてくれている。 「この問いには、だんまりかよ……はぁ、面倒くせぇ」  頭上から、またも溜め息が落ちてきたが、目線は上げられない。 「お前、本当に面倒くせぇ奴だな。(あおい)甲賀(こうが)の旦那、お前の周囲の奴らは、清廉で丁寧な物腰の裏にお前が隠してる、その意固地な本性のことは知ってんのか?」 「僕は、別に……何も隠してなどいません」  葵様と甲賀様の御名を出され、顔が強張った。引き結んでいた唇にも、さらに力がこもる。  自分が面倒くさい性質なのは自覚しているが、隠してるものなどない。  僕の〝本性〟? そのようなもの、知らない。  そもそも、僕の内面がどうであれ、お仕えすべき相手である甲賀様や葵様に、それを知っていただく必要などない。  僕は、一介の中間(ちゅうげん)。もとは、その日暮らしの百姓だ。  母の死後、初めて存在を知った異母弟(宗次郎)(あるじ)、甲賀様に拾っていただくことがなければ、お江戸で暮らすことも、大名屋敷で職を得られることもなかった。駿河(するが)の片田舎で孤独に畑を耕し、一生を終えていたはずの卑しい身なのだ。  御公儀(おかみ)から海軍の重要職に任じられておられる甲賀様のご恩情があってこその、現在の身の上と承知している。  懐の広い甲賀様と同様、許婚(いいなずけ)の葵様も気さくでお優しい御方であるから、僕などのことを宗次郎と同列にして『家族』だとおっしゃってくださるが、あの眩しい御方たちと僕とでは身分が違う。  数日後に控えた甲賀様との祝言(しゅうげん)が済めば、葵様は武家の御新造(ごしんぞう)様のご身分になられる。  妾の子であり、陪臣(ばいしん)である十束(とつか)家の姓すら名乗ることを許されない僕からは、さらに手の届かない、雲の上の存在になってしまわれるのだから。  尊い方々のお優しさに甘えることなく、()をわきまえていなくては。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

58人が本棚に入れています
本棚に追加