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 現在、日本には百万人のひきこもり、八五万人のニート、二百万人の若年無業者、十二万人の不登校者、三万人の自殺者がいる。これは先進国でも最悪の数字である。私が宗教遍歴を始めた頃には事態はこれほど深刻ではなかったが、いじめが蔓延し不登校生も多くいた。そして老人ではなく、若年層がこうした宗教に惹かれていくのである。    1。大本教系新興宗教。    現代の神道系新興宗教は戦前の大本教から分派したものが多く、本家の大本教が戦後勢力を失ったのに対して、急激に勢力を拡大してきた宗教がある。例えば生長の家や世界救世教、白光神宏会、崇教真光などがそれである。また、宗教ではないが合気道の創始者である植芝盛平も大本教の第二代教祖出口王仁三郎の弟子であり、モンゴルへ一緒に行っている。また、高橋和巳の「邪宗門」も大本教の弾圧をモデルにして書かれている。先ずはこの大本教の成り立ちから見ていこう。    (ア)大本教。  大本教の教祖は出口ナオであるが、実質的にこの大本を大きくしたのはナオの養子の王仁三郎である。出口ナオは、一般には祟り神として恐れられていた艮の金神を崇拝し、神の言葉を「お筆先」に表した。この「お筆先」では日本の敗戦や原爆の投下などのことも予言されている。そしてある日、京都府の綾部にいたナオのもとに稲荷の行者であった王仁三郎が現れた。彼は極めて豪快な人物であり、その言動などは孫の出口京太郎の著した「巨人王口王仁三郎」に詳しく載っている。  この大本は出口王仁三郎の時に2回にわたる「大本事件」で政府から弾圧を受けて教勢は小さくなった。戦後は綾部と亀岡でどちらが高天原であったかという「高天原論争」なども起こり、出口秀麿が教主になってからは王仁三郎の頃のような預言などもなくなり、徳育的なことばかり説いている。私は綾部にも亀岡にも行ったことはなく、大本のことを書くことはできない。また、王仁三郎がエスペラントを普及させようとしたことや、蒙古へ出かけたことなども話としては面白いが、そんなことを書いても現代的なトピックではないので面白くはないだろう。大本で私が関連したことと言えば、京都の古書店で王仁三郎の口述した「霊界物語」を手に入れたことくらいである。
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