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 結局M氏は古武道部をやめることになった。普通、古武道なんて言うと右翼じゃないかと思われる方もいるかも知れないが、古武道部員の大半はノンポリであった。この古武道部では部員がやめるならば「お別れ組み手」というものをやることが慣例になっていた。古武道部員全員と休憩なしで退部する部員が一人5分の組み手をやるのである。古武道部員は30人ほどいたので、見ていた一年生は本当にビビった。そして部員の一人が私に告げた。  「おい、こんなの見せられるとやめられないなあ。」  そして組み手が終わると、酒盛りに出かけた。先輩達がMに次々と質問を浴びせかける。  「お前、神武天皇なんて本当にいたと思っているのか?邪馬台国はどうなるんじゃ?」  「いや、あれは天皇の代の数え方が間違っていたもので、神武天皇はまちがいなく樫原の宮で即位していたんです。」  その後、彼はなぜか社会科学研究会という左翼的なサークルに入ったが、その理由は定かではない。    さて、この生長の家は日本会議と関わりが深いと言ったが、それは日本会議の創設者の椛島有三が生長の家の熱心な信者だったからである。この日本会議には自民党の有力政治家が名を連ねている。     (イ)お光りさんの系統1.世界救世教。
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