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ある王国に夢見がちなパン屋の娘がおりました。
パン屋の娘であることに不満はありません。パンが売れると嬉しくなります。自分の作ったパンを食べてくれた人が喜んでいるのを見ると幸福な気分になります。楽しみはお父さんからパン作りを教わること。そしてパンを作ることは彼女の生きがいでした。
それでも多くの少女がそうであるように、彼女もまた夢想家の一人。一度でいいからお姫様になってみたい、という妄想からは逃れられませんでした。
そんな彼女の元へお姫様が訪ねてきたわけです。
「あなたには今日一日、姫の役割を果たしてもらうわ」
姫は言いました。パン屋の娘は言葉がでませんでした。仕方がありません。憧れの人が突然目の前に現れたのですから。
「さあ! 私のドレスとあなたのお洋服を交換して。ほら急いで。支度は四十秒で済ませるものよ」
突然の姫の出現と、その脱ぎっぷりの良さに呆然としながらも、急かされるまま、ばたばたと着替えを済ませました。すると姫はパン屋の娘を店のカウンターにあった椅子へ座らせ、メイクの用意を始めました。
けれど姫は魔法使い。カバンから取り出した魔法のブラシを娘の顔の前でさっと振るうだけで、メイクは完了したのです。そして彼女に向かって鏡を差し出して、
「そっくりでしょう?」
と悪戯っぽく笑うのでした。
それにつられてパン屋の娘もくすっと笑いました。それでようやく緊張がとけてきて、初めて返事をすることができるようになりました。
「似てはいますけど、遠目で見たって偽物だってわかりますよ」
娘ははっきり言うタイプの子でした。
「お姫様っぽければそれでいいのよ。別に私たちのことを知ってる人をだますわけじゃないんだから」
姫は自分の衣装を整えながらあっさり言います。
「それよりもあなた、もちろんこの逃走劇の段取りはわかってるわよね?」
「はい!」
「そう。そんな返事ができるんだったら問題なさそうね。じゃあ、私の方はもう少し準備がかかりそうだから、もしよければ姿見の前に行って今の自分の恰好を見てきなさいな」
パン屋の娘は促されて、ハッとします。大急ぎで店の入り口へ向かい、ガラスの扉に反射して映る自分の姿を確認します。
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