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「鮭とばを食べよう」
アリエルはそう言って鮭とばを取り出した。
「鮭とば?」
エメールは素直にその鮭とばをもらって食べた。
結構おいしいではないか。
「でも、どうして鮭とばを?」
「たまたま持っていたんだ。店で買った」
変わった男だ……
「アリエルは、その、経験の方は?」
「ゼロ」
「だって、大切な人がいたはず」
「彼女とは手紙のやり取りだけだったんだ。レンデ国の貴族だったんだ」
「貴族?」
エメールは自分があからさまに嫌な顔をしていることに気付く。
(ああ、疲れるわ。アリエルは冗談というものがわからないのかしら?)
アリエルは鮭とばを食べ終えると、歯を磨いて、すぐにベッドに寝てしまった。
「アリエル」
アリエルは疲れているのだと思った。そして、私が彼のためにしてあげられることも、限られているのだと……
「面倒かけるね、エメール」
私は何も言えなかった。
アリエルの恐怖の世界がいかにして誕生したのか、それは何なのか、ということは、正直どうでもいいような気がする。それよりも何よりも、彼の心を暖めなければならない。
でも――アリエルは女に何の興味もないのだろうか?
アリエルの顔はきれいで、老いの影が差してきたとはいえ、私と比べると、やはり貴族の娘と手紙を交わすだけのことはある、と少し悲しくなる。そのために彼は私を口説いたりせずに、ただ横になって黙っているのかと思う。それともよほど男女の愛の営みということが、反吐が出るほど嫌なのか。潔癖症なのか。
(つづく)
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