Ⅰ 雑踏

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 もう十二月に入ったというのに、野上が手にしていたのは流行りのブランドの財布一つで、やけに身軽だなと思っていたら、智雪が何を言うより先に今度は階段の方からも声が上がる。複数の女性から名前を呼ばれ、見るとそこにはいずれも見知った顔。智雪の大学の友人の中でも、特に華やかな面々がズラリと顔を揃えていた。  キャワキャワと手を振ってくる彼女達に、智雪は軽く手を上げ答える。重ねて周囲の注目を浴びてしまったことで、苦笑に近い笑みと共にだったが、それでもやさしい瞳の色が変わらない。とても自然に穏やかに微笑む。キャッキャッと嬉しそうに笑いさざめく声が、店内に更に高く響き渡った。  智雪の持つ独特のやわらかな雰囲気。決して派手ではないけれど整った繊細な顔立ちとあいまって、とにかく「ほかの男共とは違うっ!」と女性陣の間での高い人気の秘密でもあるのだが、智雪本人は勿論そんなこと露程も知らない。訳も分からず「困った顔もまたいいっ!」などと、ミーハーな彼女達にひとしきり騒ぐネタを提供してしまっているだけなのだ。  テーブルなら近くにいくつも空いているのに、何故かそのまま階段を上がって三階席へと移動していく友人達に、カバンもコートも買ったばかりの飲み物も託し、そのメンバーの中でも一際目立って中心的な存在である野上が、これまた何故か一向に智雪の前から動こうとしない。さっきまでの悪戯を喜んでいた時とはハッキリ声のトーンも変わって、智雪を真正面から見つめた。     
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