爪先立ちの

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「へえ……おぼえてますか以外に何も言ってないのに。よくわかりましたね」 「ふん。お前がそれを私に問うたのが何回目だと思っている」  あなたは鼻で笑ってから背後のバーカウンターに背をあずけ、ワイングラスを口にした。 「あの時、なんて言ったのかもおぼえてますか」 「さすがにそこまでは」 「『それは顕微鏡のスライドガラスに情報を記入するための道具だ。皮膚を掘るなり命を絶つのに使う気なら、今すぐ返せ』だったんじゃないですか」  そうだったっけ――とあなたは腰に片手を当てて大笑いする。先生のその、首を素早く仰け反らせて髪を振り回す笑い方が、僕はとても好きだ。  胸の内がぎゅっと狭くなった気がした。 「あれからどうしてあなたは、僕を寄せ付けたのですか」 「どうしてかな。受験で失敗をしたら生きていけないと呟く切ない声が、人生に迷ったような瞳がひどく哀れで、狂おしいと思ったのかもな。ほうってはおけないさ」  先生はふふっとひとりでに笑う。ワインに赤く染まる唇が、舌が、それこそ僕を狂わせる。  食卓にのせた腕が、耐え難い衝動を堪えるようにうねる。僕はプレースマットに爪を立てた。 「第一志望の大学に受かったんです」 「知っているよ。おめでとう、努力の甲斐あったな」  あなたの声はとても静かだ。わかっているのだ。僕は遥か大西洋の向こう側に行く。  ――あなたが大好きです。今までありがとうございました――  告げる。  囁く。 「だから綺麗に忘れてください」
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