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見覚えのあるスカートを履いている女生徒は、今朝会った少女に違いなかった。
黒髪のウィッグをかぶっている。
目が合うとにっこりと微笑まれる。ごくごく自然でそれでいて皺が寄らない絶妙な目尻と頬骨のあがり方を見ていると、顔の筋肉がよく訓練されているなぁ、と感心させられた。
「どうぞ中へ。いいかね、黒瀬くん」
後付けで凪人に了解を得る教頭は心なしか口元がゆるんでいる。
「今朝痴漢から守ってくれたということで、お礼を言いたいそうなんだ」
(痴漢?)
予想外の単語が出て戸惑っているうちに少女が頭を下げた。
「失礼します。私、兎ノ原アリスと言います。黒瀬凪人さん、今朝は痴漢から守ってくださってありがとうございました」
体の前に両手を揃えて深々と頭を下げるアリスはいかにも育ちのよい令嬢といった雰囲気で、傍らで見守っている教頭たちも感心したようなため息を吐いた。
そんな空気を察したのだろう、
「あの、凪人さんと少しお話をしたいのですが、いいですか」
と切り出したアリスは大人たちふたりに視線を向けた。
「おぉそうか。では我々はこれで。帰りに職員室に寄ってください」
「じゃあ黒瀬くん、がんばって」
扉が閉まるのを確認したアリスは凪人を振り返った。その顔に先ほどまでの笑顔はない。それどころか親の仇でも見るような凄みのある顔をしている。
「……さて、と」
ランウェイを歩くようにつかつかと近づいてきてそのままベッドに乗り上げてくる。
「あ、あの……聞き間違いじゃなければお礼に来たんですよね」
お礼参りの間違いでなければ、ここまで迫られる理由がない。
「あぁ、今朝の? 逆に人前でウィッグとられたこと謝ってほしいくらいだけど」
「そうですよね……すいません……」
「――なんて冗談」
体を引いたアリスは本気で謝罪して欲しいわけではないらしく、黒髪の毛先をくるくると絡めて遊んでいる。
「やんなっちゃうのよね、いま変な奴に追いまわされて。事務所あてに写経かってくらいびっしり書かれたラブレターや私服での盗撮写真とか大量に送られてくるの。しかも私のプライベートのことまでバッチリ知られてる。所謂ストーカーよ」
「なんだか大変そうですね」
しかし事務所とはなんだろう。
「だから相手の目印になるような髪とか服とかアクセサリーを変えて様子見していたんだけど、ウィッグで髪色を変えたのもバレていたから家も見張っているみたいで」
「じゃあ今朝ホームで背中を押したのは」
「たぶんそいつ。顔は見た?」
「いや、人が多かったから」
「そっかー手がかりになればと思ったんだけど」
「ごめん」
あからさまに残念そうなアリスを見ていると申し訳ない気持ちになってくる。もう少し注意深く見ていればストーカーの人相を確認できたかもしれない。
「どうして謝るの? さっき言ったことは忘れてよ。あなたは命の恩人なんだから胸張っていいのに。私が死んだらどれだけの人が哀しむと思う? はい凪人くん答えてみて」
教師のように人差し指を突きつけてくるが、死んだとき哀しむ人数を応えよと言われても。
「えっと、家族と近所の人と、あとは学校や幼稚園の同級生やその保護者くらいだから……多く見積もって百人くら」
言い終わる前にアリスが前のめりに迫ってきた。
「は? 少なすぎるでしょう!? ファンクラブ会員だけでも三千人いるのよ。私のこと誰だと思ってるの?」
誰だと言われても。
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