1.嵐を呼ぶアリス

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(どうするおれ。ここまできたらもう口封じ……いやいや口止めするしかない。おれの苔色の高校生活を守るためだ)  そうと決まればその旨をきちんと伝えて理解してもらわねば。 (『放送終了から六年も経っているのにファンでいてくれてありがとう。でももうレイジは引退したんだから、ただの一般人のことは忘れて誰にも言わないでくれないか?』――よし、これだ)  凪人は軽く咳払いしてアリスに向き直った。 「えーと、兎ノ原さん。放送終」 「でねでね、レイジってば女の子みたいな顔しているのにとても勇敢なの」  残念。アリスは人の話を聞いていない。 「レイジは私の初恋だったんだ。頭いいしカッコイイし女の子には優しいのにオバケとトマトが怖くて泣いちゃうところとか最高だった」 「それはあくまでも設定だからな、確かにトマトはいまでも苦手だけど」 「いなくなったお父さんを探しつつお母さんのお店の手伝いをするなんて偉いよね」 「そもそも母親が営むカフェに毎回事件の相談が寄せられる設定がおかしいだろ」 「いまごろ八頭身の美男子になって大好きなココアでも飲んで暮らしているのかな」 「だれが八頭身の美男――ん?」  凪人の動揺など露知らず、アリスは恥ずかしそうに両手を重ねる。 「会いたいなぁってずっと思っていたせいかな。目が合った瞬間凪人くんの顔に釘づけになっちゃったよ。メガネとると益々そっくりだね」 「……そっくり?」 「うん。似ているって言われるんでしょう? 私もそう思うよ。ただ本物のレイジはもっと格好良くなっていると思うけどね、ふふ」 (セーーーーーーーーーフ)  心の中でガッツポーズした。  バレていない。顔は似ているが、肝心の「本人である」ことには思い至っていないようだ。六年間守り通した秘密、このまま隠し通せそうだ。 「そういえばさっきなんて言いかけたの? 放送なんとかって」 「いやなんでもない。放送終わって残念だったなって言いたかっただけ」 「そうそう、あまりに急だったでしょう? 一週間泣き続けたよ。その後もしばらくグッズを見る度に泣いてパパに慰められてた。いままでの人生の中でもあんなに悲しいことはなかったなぁ」  思い出話に浸りかけたところへ予鈴が鳴る。そろそろ教室に戻らなければいけなかった。ベッドを降りたところでアリスが唐突に問いかけてきた。 「ねぇ凪人くんって彼女いるの?」 「……は? いないけど」  レイジだったころはバレンタインデーにトラックいっぱいのチョコが届いたようだが、虫歯になるからと一つも食べさせてもらえなかった。いま思い出しても悔しい。 「そっか。どうせならもうちょっと背が伸びれば良かったね、そうしたらいまでもモテモテだったかもしれないのに」  痛いところを突かれた。目立つのはイヤだが、ひとりの男として背の低さに関しては結構気にしているのだ。 「いいんだよ、おれはもうレイジ……そっくりさんじゃないんだから。モテなくても背が低くてもいいんだ、そもそも恋愛とは無縁で生きていくと決めてるしな」 「――――へぇ」  後にして思えば「へぇ」と応じたアリスの顔をよく見ておけば良かったのだ。意図的に顔を背けていた凪人は分からなかったが、悪巧みを思いついたガキ大将の顔をしていたのだから。  つまり、油断していた凪人が悪い。 「じゃあこれ初めて?」  強く肩を押されたのとアリスが覆いかぶさってきたの、そして歯と歯をぶつけあうように唇を重ねたのはほんの数秒間のことだった。  カシャ、と光ったのはスマホのフラッシュ。 「よし、と」  唇を離したアリスはスマホの画像を確認してポケットに収めている。対する凪人はノーリアクション。あまりにも早すぎて思考が追いつかなかった。 「うん、よく撮れてる。じゃあ今週の日曜日、隣町の満月水族館の入口に十時集合ね」 「え、いま、なに、え、十時?」  自分の身になにが起きたのか理解できない凪人をよそに、アリスはすでにベッドから離れて扉へ向かって歩き出している。扉を開ける寸前で振り返り、念押しするように告げた。 「日曜日の十時、忘れないでね。じゃないとこの画像ネットにばらまく」  そんなことしたら困るのはそちらだろうに凪人の心を読んだのかアリスはわざとらしく声音を変える。 「あ、私のことは大丈夫。男友達のひとりって書くから。でも私のファンたちはネットを駆使して特定に走るだろうね。そうしたら困るんじゃない?」  スマホを振る表情のなんと悪い顔か。三千人のファンが動いたら凪人など瞬く間に特定されてあらぬ疑いをかけられてしまうだろう。 「私ほんとうは口止めにしにきたの。売りだし中のモデルがストーカーに殺されかけたなんてネットで言いふらされたら困るもん。私は炎上モデルだから、被害者じゃダメなの。分かるよね?――じゃ、そういうことで日曜に」  嵐が去っていく。  廊下で教頭たちの声が聞こえたが、やがて遠のいて行った。  呆然としていた凪人。  置き去りにしていた思考が亀のように追いついてきた。 「……口止め……って、いま、おれ――――えぇえええええーーーっっっ」  悲しいかな、ファーストキスだった。 (つづく)
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