第二部 一 昔の恋人

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「うん、ありがとう……」  一人がいいという思いを一回で聞き入れてもらえて、ホッとしている自分がいた。大人だな、正樹は。ちゃんと相手の気持ちを汲みながら受け答えできる。  惜しい気持ちも少しだけ無くはない。でも、こういう時は手放しで飛び込めない自分の感覚を大事にしたほうがいい。  あの時、お母さんのサポートを終えて正樹と別れた後、私は体調を崩して二ヶ月ほど仕事を休んだ。そのことを、正樹は知らない。  無理して都合をつけてお世話を続けて、恋人には傷つけられ、挙げ句無理が祟って苦しい思いをして、職場にも迷惑をかけて、一連のことは私にとってとても苦い思い出だった。もちろんそれが正樹のせいだとは思っていないし、自分で決めてやったことなのだけど、もう一度正樹のもとに戻ったらいつかまた繰り返すのではという不安は心の奥に残っていた。  私は誰かといると、つい自分の気持ちや都合よりも相手を優先させてしまうことが、これまでの経験でわかっている。相手からしてみれば、何にでも応えてくれる私はさぞ都合が良いだろう。優しさを当てにされて気が引けてしまうのは、優しさは慣れると都合の良さにすり替えられていくことを知っているからだ。  だからもう誰とも深い関係になりたくない。  私は一人で居て初めて、誰にも搾取されず、自分の都合で自分らしく生きることができる。そう気づいたのは、一人の日々が長く続いてからだった。  やがて、桜井さんから正樹とおつき合いを始めたという報告があった。ホッとしたし、うまくいって欲しいと心から思った。  正樹にもう実家に行くなと言われた時、ぐっと飲み込まずに自分の意見をちゃんとぶつけて話し合えば、もっと軽くやり過ごせたのかもしれない。翌日謝られた時、自分はこんなに傷ついたと主張できれば、お互いに思いを共有して先に進めたのかもしれない。  でも私にはそれができなかった。  桜井さんなら、きっとできるだろう。  そしてその後、正樹と直接話すことは無くなったけど、なぜか桜井さんこと実華ちゃんとは友人関係が深まっていくことになるのだった。  
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