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今、入ってきた男───葵は絶対零度の空気を纏っていた。
今日は町に降りて喧嘩をして来たのだろう。葵は県外の有名な族に入っている。
葵自身もかなり有名で、そこら辺のチンピラなら名前を聞くだけでビビって逃げてくくらいだ。
葵は俺が族潰しをやっていることも知っている。
これについても、教えたつもりはないのだが、偶然夜の街で会った時にバレてしまったのだ。
フードを深くかぶって顔を隠していたのに、気づかれて本当に驚いた。葵の観察眼は恐ろしい。
そして、夜に出掛けた日はいつも以上に纏っている空気が冷たい。
いつもが真冬の北海道並なら今日はシベリア並だ。
全身を覆う黒。所々ついた赤は、おそらくほとんどが返り血だろう。
その漆黒の双眸は氷のように冷たい。
常人ならばその威圧感で畏縮してしまうだろう。
俺はそんな葵の瞳を見つめる。
しばらくは俺が映っていないようだったが、少しすると氷のようだったその瞳は徐々に溶け始めた。
葵と同室になったばかりの頃は、この変化に戸惑ったものの、対処法がわかってからはそんなに気にしていない。
「起きてたの?」
「あぁ。さっきまで侑李とゲームしてた。」
問いかけた時の葵は、先程までの威圧感は霧散していた。
だが温度が戻って来たと言っても、冷たいことに変わりはない。
葵の瞳に暖かさが宿ることはほとんど無いに等しい。
唯一、二人でいるときはほんの少しの暖かさが宿るくらいだ。
此処は葵にとって安心できる場所なのだろう。
「すず。」
「なに?」
葵は俺のことをすずと呼ぶ。いすずは呼びにくいらしい。葵の感覚はよくわからん。
「服、汚れた。」
「俺に洗えって言ってんの?」
「時間たったら血取れなくなっちゃうよ?」
「もう寝たいんだけど。」
「俺洗濯とかできない。」
「知ってるよ。」
「じゃあよろしく。」
「眠い。」
「明日の朝になったら困るのはすず。」
面倒だ。眠い。
それでも今やらないと葵の言った通り、困るのは俺。
眠気を圧し殺して、葵がシャワーを浴びている間に黒いパーカーを洗う。
葵はいくつか怪我をしているはずだ。あいつは放っておくと、完全に自然治癒に任せてしまうので、風呂から上がったら見てやらないと。
ますます眠る時間が遅くなる予感がして溜め息をつく。
本当に眠い。
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