さよならには理由が要る。

3/7
前へ
/7ページ
次へ
 おれは男しか愛せない種類の人間ではない。ただ好きになったのが男だっただけで、彼女がいたこともある。女とデートをするのは二十年ぶりくらいだったが、うしろめたさよりも開放感が勝ってしまって驚いた。  なぜなら、誰もおれたちを奇異な目で見ない。意識しすぎだとは思うが、あいつとふたりでいるときは、ただ道を歩くだけでも緊張した。同僚にバレたらどうしようとか、なれなれしすぎないかとか、中年男ふたりでこんな店に来るなんてどういう関係なのか勘ぐられないかとか、見知らぬ他人の目が最近は特に怖くてたまらなかった。  だが彼女といると、誰もおれたちを特別な目では見てこないのだ。むしろコンビニの店員も、カフェの店員も、みんなが優しかった。  ああ、これが普通なんだなと思った。  若い頃は反骨精神もあり、誰とも同じになりたくない、平凡ではいたくないという思いがあったが、今のおれはできるだけ目立たず生きるのが楽だと知っている。  仕事でも、独身というのは不利だ。奥さんや子どもがいてこそ男として一人前、という視点は残念ながら今の社会でも根強く存在している。  根からの同性愛者であれば開き直ってそれを貫いたかもしれないが、おれはそういうたぐいの人間ではなかった。  要は、楽な方に逃げたのだ。  決断するなら今しかないとも思った。あと十年たてば、おれも五十になる。そうなれば普通の家庭を築くチャンスはゼロに近くなる。  十年後、後悔しないために、今、お前と別れたい。  普通の男に戻りたい。  アイドルかっ!とツッコマれそうなおれの身勝手な言い分をあいつは責めなかった。  もしかしたらあいつも疲れていたのかもしれない。  そんな風に思った。  
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

57人が本棚に入れています
本棚に追加