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安物の時計の針は23時30分。おれの最寄駅まであと3駅。
もう終わりにしないといけない。これ以上はもう、無理だ。もうすぐ終電だし、明日も仕事だ。
つないだ手を、そっとはずした。
「……もう、行くわ」
低めの、周りに聞こえないくらいの声でそう言った。あいつもふっと顔をあげる。
「ああ、うん。そうだな」
黒縁眼鏡の奥の瞳は、決しておれを見ようとはしなかった。目元に刻まれたあいつの皺に互いに年をとったな、と感慨深くなる。
「元気で、な」
ぼそりと、あいつが言った。
「ああ。そっちも」
わざとそっけない口調でそう言った。それが最後の会話になった。
3駅なんてあっという間だった。酔っぱらいの学生や、残業のサラリーマンたちにまぎれて電車を降りた。振り返りはしなかった。あいつの顔を見たら決心が揺らいでしまいそうだったから。
人波に背中を押されるまま、改札口へと続く長い階段を下りる。一歩降りるごとに、あいつとの思い出が走馬灯のように頭に浮かんできた。
足が止まりそうになる。
そのとき、手の中のスマートフォンがメッセージを受信し、ぶるっと震えた。
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