第3話

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意識して、注意して話していた一年。 次第に普通を忘れた二年。 気付けば胸に一本のナイフが刺さっていた。 〈言葉にならない言葉のナイフ〉。名状し難い自己嫌悪。 このナイフが抜けるのは、あれから会っていない母さんに謝る時だ。 刃物を抜けば血が溢れる。それはとても痛いだろう。 けれどその時、隣にナタリアが、ユウキがいてくれたらな。そう思った。 ──そうさ。もう、大丈夫。 ▽ 一度顔を真っ赤にして俯いたスズリだったが、少しして顔を上げると、真っ直ぐな眼差しでナタリアを見据えた。 私は多分、心底驚いた顔をしている。 スーちゃんはこの半年、何も話してくれなかった。 彼が抱える過去も、それ故に言葉をセーブしているのも知っていた。 そんな彼が、直接的にではなくとも『出てきてほしい』だなんて。 ──スーちゃんも、変わったんだな。 その思いに応えたい。私も変わりたい変わらなくちゃいけない。 それでも壁を仕舞おうとすると、足が震えて、息が苦しくなる。 ──対して私は、弱いな。 外の世界が怖い。 この閉じた壁の中にいても、何も変わらないことはわかっている。 パパとママが帰ってこないこともわかっている。 それでも、パパとママのいないこの世界に、私のそのままの言葉が通じない世界に、一人で生きていくのは酷く怖い。 みんなと話す時、慣れぬ日本語に一度変換しなくてはならない。 頷くタイミングも、笑うタイミングもやはりズレる。 それはどこか疎外感を感じさせた。 それでも帰ると二人がいた。 「Приветствовать(おかえり)」と笑う家族がいた。 私の言葉を私の言葉でわかってくれた。 慣れるものだと聞く。 気付けば日本語で思考する日が来るかもしれない。 それも嫌だ。パパとママが薄れてしまいそうだ。 こんな意味のない思考を続けて半年。 グダグダで纏まらない考えは何をする決心も産まず、ただ暗い、言葉を亡くした箱の中。震え怯え暮らしていた。 ▽ 「ごめんね......!ごめんなさい......!」 しばらくの空白の間の後、ナタリアは声を上げて泣き始めた。 おそらく何度も出てこようとしたのだろう。それでも、こちらへ来ることはできなかった。
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