第七章 ヴァンパイアの秘密

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「――本当にそれでいいの?」 真っ白な雪の上に赤い花を咲かせた女、――否、母が自分にへと、そう問いかけた。 大きな獣に噛みちぎられたかのように横腹は抉れ、そこからとめどなく血が溢れ出し、雪に綺麗な大輪を咲かせていく。そんな身体とは打って変わり、母の顔は綺麗だ。汚れ一つなく、気持ち悪いくらいに白い肌をしていた。 そんな現実離れした姿に、これが夢だと気づくのは意外にも早く、特に動揺することはなかった。こんな夢を見るのは今に始まったことでもない。殆どが、母と父が殺された日の夢であったがたまに、訴えかけられる夢を見ることがある。どうせ今回もそういう類。 「ねぇアキト? 貴方、死んだ私達の敵を取るのでしょう? 本当に今のままでいいと思っているの?」 「今の、まま……?」 だが夢だと分かっていても、母の姿に母の声には弱い。家族で大好きだった母なのだ。動揺はせずとも、心は乱れてしまう。 「アキト、父さん達の敵を取ってくれ。その為にお前は軍人になったんだろ?」 「とう、さん……」 気づけばそこにはいなかった筈の父が母の隣に立っている。父もまた、母と同じように異様な姿をしていた。 首はぐにゃりと曲がっており、腕からは血が滴り落ち、母さん同様に赤い花を雪の上に咲かせて行く。 「僕は」 「アキト」 ぬるりと母の手が伸びてきて、その手をアキトは弾き返すことができない。ぎゅっと目を瞑ってしまえば、頬を母の手が撫でた。ぬめりとした湿った感触がして、思わず目を開ければ間近に母の顔がある。 「ひっ」 その顔は先程の綺麗な顔ではない。痩せ細った顔をしていて、骨ばっている。瞳も、今にも目玉が飛び出すんじゃないかと、そう言わんばかりのもので、アキトは腰を抜かしてしまう。 雪の上に尻もちをつき、立ち尽くす母を見上げればギョロリと視線を落とされ、その姿に恐怖する。 「か、母さん……?」 夢と現実。それがハッキリしない。夢と思っていたけれど、頬に触れる母の手は妙にリアルで冷たかった。湿った感触も、それは母の手が血塗れだからで、その感覚が分かってしまって、本物のような感覚を覚える。 そんなわけない。そう分かっている。それなのに、身体はヴァンパイアの男の時同様に恐怖する。母の異様な姿に、恐怖する。 「私達よりも、あのレフとかいう人が大事なの?」 「ち、違うっ、そうじゃないっ。僕はちゃんと敵を取るために……。でも、レフ大尉も大事なんだ。あの人を死なせたくないから僕は……ッ」 尻もちをついたままのアキトに合わせるように母は屈み、アキトにへと問う。その答えをアキトは口にするが、言葉には母に対する恐怖が滲んでしまっている。 じりじりと母は首だけを前に動かし、アキトの瞳を覗き込んでくる。 黒い瞳。真っ暗闇な瞳。闇しかうつさない瞳にアキトは吸い込まれそうになる感覚を覚えてしまい、恐くて母を突き放そうと手を前に出した。けれどその手は母に掴まれ、 「私達のことは見殺しにしたのに?」 「みご、ろし……?」 そんな母の言葉に心が揺さぶられた。大きく乱れ、鼓動が速くなる。呼吸が乱れ、冷たい空気が肺に入る度に、痛くて痛くて堪らない。 ひゅ、ひゅ、と呼吸をしても上手く息が吸えなくて、苦しい。 「そうよ。あの時おまえがヴァンパイアを殺していれば、母さん達は浮かばれたのよ? それなのにお前は殺さなかったッ! いいえ、昔も今も殺せないのでしょう? どうして? どうして殺せないの……?」 母さんの手が伸びてくる。赤い手がゆっくりゆっくりと伸びてきて、僕の首に触れる。母さんの両手に首が包まれて、ぐっぐっと力が押し込まれていって、 「かっ、は……ッ」 苦しい。息をしようとしても喉につっかえて、息を吸うことも吐くこともできない。母さんの手に圧迫されて、気道を確保できない。 「ごめ、な……さ」 苦しい苦しい苦しい。息が、できない。母さん、母さん、なんで、どうして。やめて、こんなこと。このままじゃ死んじゃう、僕が死んでしまうから、その手を離して、お願いだから……。 アキトは声にならない声で何度も母に向け謝罪の言葉を述べ続けた。それなのに、謝れば謝る程、首を絞める母の力は増していくばかりで、首を絞められ続けるアキトの頬は悲しみからか、苦しさからか。涙で濡れた。 溢れんばかりの涙が瞳から零れ落ちる。そんな歪んだ視界に映るのは、母と父の顔。涙越しじゃなくとも分かるくらいに、どちらの顔も酷いくらいに、化物かのように、――おぞましいものだった。
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