第八章 灰色の欲望

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不思議と今のアキトにはレフとの沈黙が苦ではなかった。無理して会話をする必要を感じないとでも言えるだろう。 そこにレフがいる。それだけでいい。会話なんていらない。そこに、いてくれるだけでいい。 こんな風に思ってしまうのは何故だろう。 「アキトは……」 しかしレフは違うようだ。沈黙に耐え切れなくなったかのように名前を呼び、けれど話題が見つからないのか、続きの言葉を吐きはしない。 静かにレフの呼び掛けに応えれば、レフは紅茶にへと視線を落とし「まだ口にしてないだろ?」と、質問をしてきた。 「美味しいですか? それ」 それはアキトが一向に口にしようと思わないもの。紅茶などという渋味があるものは、ヴァンパイア化したアキトには感じるものではない味だ。無味でしかないそれはただのお湯同然であり、飲めと言われても首を横に振ってしまうのは必然的もの。 「糖分が一番感じる筈だ。実際にチョコレートの味は分かったのだから、ジャムの味も分かるんじゃないのか? 俺は……昔と変わらず味がしたし」 レフが手にしてアキトにへと見せたものは、アキトが嫌そうな顔をして視線を落とす紅茶ではなく、その隣にあった小さな器に入っている赤色のジャム。 「……レフ大尉は、これ好きですか?」 甘いのは好きじゃない。味覚を感じている時は少なからずそうだった。口の中に残るのが好きじゃなくて、好んで食べる物じゃなかった。だけど今は、唯一感じる味と考えるのならば、一番好きだと言っても過言ではない味なのだろう。味がしない物ほど不味いと知ってしまった今では、その甘味が恋しくも思う。 アキトの問いにレフは頷きを返すのみであり、アキトは微笑みを浮かべて「そうですか」と言葉を置く。 そしてそっと、ジャムが乗った器をレフから受け取る。レフは嗜み方も教えてくれた。せっかくなんだ。ここで口にしないのは教えてくれたレフに失礼だと思う。なんでもかんでも味がしないと思うのはいけないことだと思うし、それはアキトの我儘。食わず嫌いにも程があるという話になってくる筈だ。 器に乗るジャムを傍に置いてあったスプーンで優しく掬う。ゼリーのような柔らかさがあって、スプーンいっぱいに乗るジャムはツヤがある赤色。人間だった頃なら絶対にこんなことはしないだろう。そう過去の自分ならと思いながら、アキトはスプーンを咥えて引き、口の中にジャムを残す。続いて冷めてしまった紅茶を口に含めば、口の中は何とも言えない感触に溢れた。 まず味はする。食べて始めて、ジャムが数種類のベリー系を合わせた物なんだと分かる。ふんだんに使われた砂糖の味に、ベリーの優しい甘みに酸っぱさ。その全てを感じる事が出来て、その甘みを緩和させるかのように紅茶がしっとりと浸透して行き、気付いた時には口の中は空になっていた。
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