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第十九幕『断頭台からの使者』
私はそこから動けない。どれだけ動かそうとしても、体が動かない。
絶望の色に似た白黒の世界に縛り付けられている。
「――ア……ア…………」
首だけの男は口を開け、喉から声を搾りだそうとしている。
むき出た目玉が、こちらを寸分の狂いもなく捉える。
逃げられない。瞳さえ動かせず、視界には気味の悪い光景がこびりついている。
きっと、私が目を閉じているから。これは夢だ。気味の悪い悪夢だ。
それでも体がこわばる感覚がある。体中がひきつり、ミシミシと乾いた音が立つんじゃないかって、思った。息が苦しい。
今起こっていることは夢じゃなくて、現実なのだろうか。
何が起こっているのだろう。何かに憑りつかれてしまったのだろうか。
目の前に”在るモノ”――これが霊というものなら、これからお世話になるのかもしれない。仲間入りするのだから。恐れている場合ではない。
もしかするとすでに仲間なのかもしれない。在るようで存在を認められず、”居ないもの”なのだから。
それでもどこからか、救いを求めているかのような感情が湧いてくる。本能から来る、はっきりとした嫌悪。
――いやだ。
声が出ない。そもそも聞いてくれる人もいないから意味がない。それでも心の底から感情が湧いてくる。助けて、と。
そんな叫びを聞いたか聞かずか、首の男は血走った目のまま笑みを浮かべ始める。
そして首は嗤いながら、身の毛もよだつような不気味な声を発した。
「次ハ……オマエノ番……ダァアアアアァ!」
奇妙な笑い声を響かせながら、その光景はだんだんと薄まっていき、やがて消えた。
縛られるような感覚が解け、私はようやく目を開いた。
憎たらしいほど、今までと何一つ変わらない空虚な空間で、自由のもどった両手に目をやる。
体が安堵し、温かみを取り戻すと、冷や汗をかいていたことに気が付く。
怖かった。怖かったんだ。今までの私は強がりで、本当は死にたくなんかなかったんだ。
少しでも生きていられるのなら、もう少し生きていたい。
死の恐怖から逃げたい。死ぬのが怖い。
もうすでに死んでいるのなら、受け入れる事しか出来ないけれど。
でも今、確かに生きている。ここで死ぬのは嫌。
「次は……私の、番…………」
首を落とされ、私もあんな風になるのだろうか。
「ああ。私の事を救い出してくれる、騎士はいますか? 私はこのまま、短い生涯を終えるのでしょうか」
夢を諦めながら救いを求める。叶わないと思いながら願う。
誰にも知られず、誰にも触れられない。存在していたとも、生きていたとも言えないような。そんな短い生涯を嘆く。
「……こんなこと言っても、誰が聞いてくれるというの?」
いつものように、また笑う。それでも、言葉にしないよりはまだましだった。言葉にすれば、何かが変わるかもしれないと思った。
誰にも言えない、誰も聞けない言葉だけれども。
痛いくらいの悲しみが、私は今ここにいて生きているんだと、叫ぶみたいに教えてくれた。
思えばそのとき、誰かの声が聞こえたような気がする。
『お望みというならば、貴女をそこから連れ出そう。その手を取り、あなたの騎士となろう』
それは聖なる騎士の言葉か、死神の言葉か。それとも自分自身による一人芝居だったのか。そのときの私には知る由もない。
――
黒い服を身に纏った、赤い瞳の男は目を覚ました。
「いっててて……」
背後が痛む。固い地面の上で、しばらく気を失っていたようだ。
腰をさすったとき低木の葉が擦れる音がしたことから、茂みに落ちたのだと気が付く。
(どうしてオレはこんな所に……)
おぼろげな意識の中で、自分の記憶を整理しようと試みることにした。
先程、意識を失っている間に夢を見た気がする。それは、少女が苦悩する夢。
――あれはレナ姫の記憶だ。
男には確信があった。先ほどレナ姫と目が合ったとき、記憶を消したのではなく、記憶を奪ったのだ。
あの記憶は、その時に姫が強く思っていたことなのだろう。
だからレナ姫の苦悩を記憶として、一緒に吸収してしまったのだ。
ただの夢ではないと、男はあることを悟った。
「呪われた少女か……面白い」
夢が映した記憶の中で、赤い瞳の少女を見た。その少女が姫に向かって絶望の表情で言うのを、まるで自分に言われたかのように感じた。
『私は、明日死ぬらしいわ。あなたは……私を助けてくれる人?』
助けてと、言いたいのに言えない。
どうせ助からないからと、あなたにはどうせ無理だからと。
その想いがありありと伝わってくる。
(オレに……無理だと? オレにはできないと?)
少女に同情する気などなかった。ただ、少女の報われない呟きを聞いて、一種の怒りとも言えるような感情が込み上げてきた。
それは男にとって意外な事でもある。
それから気になるのは、赤い瞳を持つという事。自分の瞳と同じ色。
囚われているという意味。何の意味もなく囚われている訳ではないと、男にはわかった。
おそらく何かを秘めているのだ。何らかの力を持っていて、だから封じられている。他人事ではないような気さえしていた。
少女はレナ姫と全く同じ容姿をしていた。あの少女が気になる。
色々と気になる理由は十分にあったが、下心もあるのかもしれない。
「やってやるよ。オレがお前をそこから出してやる」
自分に出来ないことはない、男はそう思っている。
少女を決して死なせはしない。それは少女のためではなく、わがままな自分の気まぐれだ。と男は心で呟いた。
この記憶の通りなら、少女の命の危機は今も迫っているはずだ。残された時間に、余裕はない。
しかし男は、余裕すら伺える笑みを浮かべており、そのまま城へ向かった。
――
――コツ……コツ……。
暗闇の中、扉の向こう側からかすかな靴音が聞こえてくる。今は幽かだが、それは確実にこちら側にやってくる。
そしてそれ以外の音はない。それは静けさを強調し、何かを感じ取った少女は体を強張らせる。
(殺される……)
この場で殺されるのだろうか。
それとも、どこか知らない場所へ連れて行かれるのだろうか。そして大衆から、痛いほどの視線を浴びながら死んでいくのか。
ゆっくりと向かってくる足音に、少女の恐怖心はひたすら煽られる。
少女にとって、死ぬ時の痛みなど些細な事だった。
問題は、恐怖心を感じる時。恐怖心が頂点へと達する瞬間。
恐らくは今がそれに近いだろう。あくまで想像だが、その恐怖は頭の中で何度も繰り返される。
叫びたい。今にも発狂しそうだ。しかし少女はその術を知らなかった。
只ただ震える体。のども震え、内臓さえ逃げ場を探している。目は焦点を失い、肩や背中、顔から冷や汗が湧き出る。
そのうちに肺がひきつり、荒い息をあげた。そんな自分に、狂ったような幽かな嗤いが込み上げてくる。
殺されない確率は一気にゼロに近づいた。あれは確実に死神だ。姿は見えなくとも、少女にはわかった。あんなにも遠い場所から感じた、氷のような冷たさ。揺らぎのない機械的な殺気。
それを感じた時から生きた心地はなく、死んでしまったようなものだ。
生き物として見なされていないような心地の悪さ。絶望的な、人ではなくなった体。いや、すでに体とも言えないかもしれない。
心を殺されてしまいそうだ。
迫り来る死の恐怖。考えることは難しくなり、ただここで震える以外はできなくなってしまった。
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