五章

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 一彬がゆっくりと後ろずさりを始め、華生もそれに倣う。 「七年も横に置いていれば自然にそうなります」  敵意剥き出しの一彬を前に、野木は涼しい顔でペラペラと喋り出した。 「本当に華生は運がいい。幼気な子供が一人で街に放り出されて、下手をすれば悪い大人に捕まっていたかもしれない。最近ニュースになってましたね、小学生を拉致監禁して十年間悪戯(いたずら)していた男が逮捕されたと。……貴方がそうでなくて本当に良かった」  ——お前が、何を言う!  華生が一彬の背中から飛び出しかける。 「無礼にも程がある!」 「出てくるな華生!」  一彬が背中越しに華生を叱りつけ、華生が縮んだのを確認するとさらに横で侮蔑の目をしていた瑛子の方に追いやった。 「……瑛子さんのところにでも行っていろ」  一彬が瑛子に目配せし、彼女が華生の肩を抱いて部屋に戻るのを見届けると、彼はぞんざいに客間の扉を開け野木に入るように促した。すれ違いざまに、野木が一彬に耳打ちする。 「華生ちゃん、『お兄さん』にベッタリだ。光源氏と紫の上のようですね」  一彬は眉ひとつ動かさなかった。 「……羨ましいですか? 十八にもなって兄離れできない妹で手を焼いております。『触らないで』なんていう娘とは思いませんでしたな!」  野木が一彬を見る表情が醜悪に歪んだ。一彬は素知らぬ顔で「親父、便所にネズミがいた」とわざとらしく言いながら客間に足を入れる。
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