六章

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 弘海がコップに茶を注いでいると、一彬も居間にやって来た。 「あけましておめでとう、兄さん」 「そうか、正月だな。おめでとう」  食器棚に向かう一彬はセーターにスラックスを履いて髪も簡単に固めて、いつもの如くぶっきらぼうだ。 「兄さん。今朝、華生から少し兄さんの匂いがした」  一彬が眉を少し寄せた。弘海は一彬に茶が入ったコップを渡す。 「責めやしないよ。寧ろ今までよく耐えたなと思ってる」  弘海はもう一つコップを出して茶を注ぎ、口を付けて微笑んだ。母親似の彼は鷹揚な顔がよく似合う。 「正直、少し安心した。兄さんでも(たが)が外れることがあるんだってな」  弘海は押し黙る一彬の肩を優しく叩いた。 「華生、幸せそうだったじゃないか。俺はそれが何よりだよ」  居間を出て行く弟に、一彬はポツリと呟く。 「……俺は、少しお前が羨ましい」  物心ついた時から、この年の離れた兄は感情を吐露するのが苦手だった。自分が生まれる前に会社が潰れかけていたのは聞いたことがあるが、その時の苦労が今の取っつきにくい人格に影響しているのだろう。 「そうだろ?」  弘海は振り返ってニカっと悪戯(いたずら)っぽく歯を見せる。茶目っ気のある表情は、兄には到底できない芸当だった。
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